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《独りで生きていく》_『言の葉の庭』から見る新海誠作品の魅力の考察・感想

 2018年、3月。季節を変えるために雪が雨になって降り注ぐ。春の訪れを告げている雨樋の音色が心地良い。雨が降ると必ず思い出す作品がある。新海誠監督の『言の葉の庭』だ。
 緑に縁取られた梅雨の新宿の情景は、情緒に溢れ写実的な描写であるにも関わらず幻想的だ。その映像美と色彩設計は新海節とも言える作品演出の個性のひとつになっているが、他にも魅力的な部分が多岐にわたる。

 今更感もあるがそれを並べ、今作の見どころとなる部分を書き出してみよう。

※以下ネタバレ注意。

①明暗の演出
 『秒速5センチメートル』『君の名は』などで知られている監督の映画では光の演出に目を奪われることが多い。それは光源としての役割だけではなく、等しく暗の部分と合わせて丁寧に描かれているからこそ、特徴的に映っているのかもしれない。
 顔にかかる影や梅雨の薄暗さ、人混みの淀んだ空気の中で、夜の水たまりの淵にあるネオンの反射や、雨雲を割く太陽の眩しさ、あげたらきりがないほど多彩に表現し幅が広い。
 今作においては梅雨入りから雪の降る季節まで、ころころと表情を変えていく季節性を、登場人物よりも切り取った風景の方が雄弁に語る。きっと季節ごとに新海誠探しと称して、彼の見ている景色を探してみるのも良し。

②登場人物の独白
 情緒的な懐古主義のように登場人物たちは呟く。その言葉ひとつひとつに重みがあるように語る内容は、一貫して日記の断片のように取り留めもない。それゆえに冗長に感じられるかもしれないが、安易な会話よりも真に迫るように感じられる。
 今回も同様に高校生のタカオと彼が出会ったユキノはお互いに心情を劇中で述べるが、今までと異なっているように感じたのは階段のラストシーンだ。切り取られた心情を独白と風景で描かれていることが多い印象があったのだが、今作ではタカオから口火を切るかたちでお互いが心中を声に出して吐露する。そうした直接的な表現を抑えられてきたからこそ、それがたとえ静的な表現でもより劇的に見えた。

③時間を加速度的に経過させる余白
 『君の名は』でも話題になったのがMVのような演出の仕方だ。
 今作では挿入歌はなかったものの、タカオとユキノが徐々に関係を深めていく様子がテンポ良く描かれている。この演出方法においては『言の葉の庭』からの試みだろうか、過程は省略されてしまうが展開にブレーキをかけることなく視聴者を引き込むことを助け、想像させることのできる余白を持たせることができたのではないだろうか。


 何よりこの作品で最も印象的なのは、階段でタカオがユキノに対して「やっぱりあなたのことが嫌いです」と白状する場面だ。
『あんたは一生ずっとそうやって 大事なことは言わないで自分には関係ないって顔して ずっと独りで生きていくんだ。』
 タカオの責めるような言い草は、どうしようもなく惹かれていた自身への叱責ともとれるのは、ユキノに対して幻想を抱き「自分とは関係ないところの話」と思っていた大人の彼女の悩みが、実は身近でタカオの忌避していた“子供じみた”問題だと知り、現実を思い知ったことに由来しているのではないだろうか。
 ユキノの抱えている問題を含めて、自分が教師であることを明かさないままひとりの人間として尊重してくれたことへの羞恥心と情けなさや、踏み込むことを躊躇って一度は線を引いたくせに、それでも当の彼女が自ら追い掛けてきた身勝手さへの非難ともとれる。

 たったあの数行の台詞の中で、込められた意味が充満し凝縮されている。

 それに対してユキノは子供のように泣くしかなかった。今まで彼女自身も正直に向き合うことができなかったのは、彼女の抱える問題によって本来歩み寄れたことですらも、やっと「うまく歩けなくなった」状態から、裸足のままでも一歩だけ踏み出すことにできただけに過ぎない。
 ラストは雪の降る季節で、あの公園で傘が近付く様子で終わる。二人の関係は始まっただけに過ぎない。歩き出したに過ぎない。約束もないことに踏み出すことに躊躇うのは当然のことのように思う。
 その揺らぎを、その言いようもない不安を、映像や言語という形にすることは、整理につながる。歩けなくなった人にも、現状に対し焦りを感じながらも邁進する人にも、寄り添ってくれる作品だ。

 誰もが人とより良く寄り添うことができればいいだろう。誰もが望んでいて、嫌っている人間はいない。社会動物にすぎないのだから、それは生理的に定められている。けれど一度は必ず、足を踏み外して挫ける。それは誰にでも与えられた試練のように、妨害のように、これまでの歩みを阻害する。独りで生きていくことができればそれほど楽なことはないが、実際人間はそれほど丈夫にはできていない。暗室に視覚と聴覚の刺激を一切与えない感覚遮断実験の恐ろしさは、江戸川乱歩の『鏡地獄』のように問いかけも回答も自らしか行えない監獄ができあがることだろう。人はみな孤独だ。だが孤立はできない。それでも大人も子供も関係なく、もがき苛立ち泣き叫びながらも歩んでいくしかない。ひとときの安らぎを頼りに、求め続けて。

 ユキノは独りで生きていくことを辞めた。それで何かが変わったわけでもない。でも一歩前に進めたのは間違いないはずだ。そう信じたい。



2018.3.6 初稿

2018.3.11 推敲