見出し画像

「自由に」作文なんて、書けるわけない。―問題提起編―

夏休みの時期だな……と気づきふと思い立ったので、今になって児童生徒時代の「作文」の課題がいかに無理難題だったかを、仕事目線であげつらってみる。

まず、お題を与えてもらわないことには書けない。「夏休みの思い出を作文に書きましょう」といっても、範囲が広すぎる。家庭によっては旅行をしないかもしれないし、お出かけに行ってもそれは「取材」に行っているわけではない(少なくとも、取材やイベントレポートを書けという指示がないのに「取材のつもりで=あとで文章にするつもりで」お出かけに臨める人なんていない)。書くつもりで情報集めをしているわけではないのだから、旅行の記憶を振り返ったところで使える情報はよっぽど強烈なインパクトの出来事か、楽しかった美味しかった綺麗だったの感覚的な要素くらいが関の山だ。それで原稿用紙2枚3枚と文章を構成できるわけがない。

思い出、心に残ったこと、なんて視点もやっかいだ。仕事で「書くぞ」という前提で意気込んで取材行脚に出ても、インタビューとして質問や話をした内容以外の細かなエピソード―それがどんなに感動的で驚きを伴う出来事だとしても―は時間とともに忘れてしまう。心に残り、後々振り返って言語化できるほどの出来事に巡り合えればいいが、人生に影響を与えるほどの「出会い」はそうそうお目にかかれるものではない。「企業サイトに載せたいので、取材してもらって感動したことを書いてください」なんて依頼をされても成り立たない。「企業サイトに載せたいので、社員の仕事内容と勉強方法を中心に、当社の事業の社会貢献も含めてまとめてください」と言われて、初めて狙った形をつくることができる。

さらに、作文は形式が指定されていない。これでは「何書けばいいのか分からないけど、メディアを作りたいのでテーマや記事スタイルやターゲットや方向性を考えて作ってください」なんて企画丸投げされているのと変わらないではないか……。せめて文章のスタイル(ですます調か否か)、セリフ(発言)はありなのか地の文オンリーか、視点はどこか(自分が主語で主観的に書いていいのか、情報中心にして客観的なのか)だけでも指定してもらわないと、方向性から検討しなければいけなくなってしまう。文章書きの大人でさえそんな丸投げ企画は手探りで対応するのに、これだけの重荷をまだまだ論理的思考力のない子どもに背負わせるなんて、なかなかにハードな課題である。

事実・情報よりも「思ったこと」「考えたこと」「印象に残ったこと」など感覚的な指示やテーマを与えられることが多いように思うが、それもなかなか厳しい。思い出や感情を好きに語るとなると散文や随筆の類になってしまうが、それだけで量を書ける人間はすでにかなりの語彙力、表現力がある。大人でも独りよがりの文章になりかねない(というか、なる)。好き勝手な投稿ならいざ知らず、きっちりと分量を書かねばならない課題では厳しすぎる。出来事を中心にするのなら日付・場所・時間・気持ちではない出来事の具体的な内容・行きかえりの手段など項目を示してもらえなければ、「何を書けばいいのか分からない」穴にまっしぐらだ。

それに何といっても語彙力が足りない。拙くても、最初は間違っていてもいいから、物事を詳しく表現・説明する練習をさせてからでないと、作文として成り立つような文章は書けないだろうと思う。これが英作文の話なら、「昨日はレストランへ行きハンバーグとデザートを食べた」という一文を作るのに、適切な語彙や文法を知らなければ「書けない」ことは誰もが理解している。日本語だって語彙がなければ表現が貧相になったり、そもそも書けなかったりするのは同じだ。

当たり前だが、事実を描写するにしろ、感情をなぞるにしろ語彙力は本当にものをいう。例えば台風一過の夕暮れの空を見て、「台風が過ぎた後の夕焼けがきれいでびっくりしました」という事実+気持ちの文はみんな書けるかもしれない。間違ってはいないが、事実と形容と心情の表現がそれぞれ一つしかない、そこそこ貧相な文だ。これが「台風が過ぎた後、急に暑くなって夕焼けがいつもよりまぶしくて、水色とオレンジ色とピンク色がごちゃごちゃにまざった色をしていました。こんな空は初めて見たので、台風のときはふつうじゃないと思いました」と表現されていれば、何が驚きだったのかくらいは伝わるはずだ。

この例文について、さらに二点言及したい。まずは口語と書き言葉。口語にすると子どもの文のような幼さが出ることにたった今気づいたが、学校で口語と書き言葉の区別を意識するよう口を酸っぱくして言われることはなかったように思う。基本的に大人の……仕事の文章では、会話調のインタビューやセリフの引用が必要な記事以外、口語を用いることはまずない。口語は喋るための音便が気づかないほどあちこちに隠れているので、「情報を伝える」ための原稿や媒体で使ってしまうと、急にフランクな「敬語や丁寧語で話すべきところでため口をきいている」ような印象になってしまう。年齢が幼いうちは口語と書き言葉が混在していても可愛いが、中学生くらいからは口語と書き言葉を明確に分ける練習をしたほうがいいのではなかろうか。

もう一点は、具体と抽象を意識する視点が、学校教育の作文ではあまり指摘されないこと。さっきの例文で言えば、「台風が過ぎた後の夕焼けがきれいでびっくりしました」のほうには具体的な要素が台風・夕焼けの二つしかない。きれい、びっくりはあくまで主観(印象)を表現することしかできないので、文字数はあってもそれ以上に何も伝わらないのだ。空の色を具体的に書くことで「きれい」の文脈が、初めて見た色という具体的な情報を盛り込むことで「びっくり」の程度が伝わるようになる。

突然入った休日に何をしていいか分からないように、だだっ広い部屋に1人過ごしていれば空間を持て余すように、あまりにも広大な「自由」を与えられた文章は、書くべき内容を見定められない。自由な作文は、書けないことがむしろ自然なくらいだ。

でも、そもそも超多忙な学校の先生に、文章書きの人間がやるような作文教育や添削をなどという気は毛頭ない。ただ、これからの作文の課題は、子供の文章の練習になって、見る側の大人もどこに着目したらいいか分かるような、「テーマとスタイルと具体的に入れる項目」を指定する形が広まるといいな。

よろしければサポートのボタンも押していただけると嬉しいです。いただいたご支援は取材・執筆活動に使わせていただきます。