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ぼくたちがガンダムをつくり宇宙を目指さなければならない理由

ヨコハマ民という揶揄があるのを何かのメディアで見たことがある。

横浜出身のやつはやたらと自分の地元を愛し誇りに思っていて、港町や海の見える場所のイメージをうざいほど語ってくるが、実際ほとんどの輩は海の見えない山か、あるいは丘に住んでいるという。
この表現は見事で、まさしく僕はそれだ。野毛山という山に住んでいるのに一丁前に”やっぱり港町はいいね!“とか思っているタイプだ。

フィンランドにいったときも、シンガポールにいったときも
”ヨコハマみたいでいいね!“という言葉のチョイスをしてしまい、まわりの顰蹙を買った。じぶんのなかでは最大級の賛辞と感嘆がこめられているのだが・・・


このように僕が自分がヨコハマ民であることを胸中に誇りはじめたのはいまにはじまったことではないが、またしてもヨコハマを好きになってしまう出来事があった。
ヨコハマ民のみが応募できる”動くガンダム“の内覧会招待に当選したのだ。
山下公園横にできたガンダムファクトリーという新規施設の招待券で、お台場に設置されていた実物大のものから数年、さらに進歩を遂げて動かせるように構築したガンダムが目玉だ。


実は僕はガンダム というコンテンツが深すぎるために声を大にしていうのは恐れ多くあまり発言してこなかったが、密かにガンダムが好きだった。ゼータガンダム やWガンダムから入り、Gジェネレーションやプレイステーションでめぐりあい宇宙で初代ガンダムのストーリーを追体験したクチだ。
高校のときは、毎日連邦vsジオンのためにゲーセンに通い、同じプラットフォームのエゥーゴvsティターンズの最後の追加バージョンがロールアウトされるまでずっとやり続けた。




送付された当選チケットを見て、
“今日ほど横浜市民であることをラッキーだと思ったことはありません!

なんてnoteに書いちゃおうかな、というアイデアを一瞬想像したくらいには嬉しかったのだけれど、そもそも毎日横浜市民であることを最大限にラッキーだと実感し、だれに強制されるわけでもなく小学生のときから1日3回マリンタワーの方向に向けて祈りを捧げているような僕が今更そのような陳腐なセンテンスは用いれないな、と思って取りやめた。


こんなふざけている書き出しだが、今日は真面目な思いを綴っておくことにする。10年後、40代になった自分への手紙のつもりだ。キミは今、32歳のときに僕がしたためた文章を読んで何を思うのだろうか。

2020 RX78-F00 ガンダム

パンフレットによると、誰もみたことのないこの稼働する建造物のため、9社にもわたる技術屋と屈指のノウハウ、プロジェクトリーダーに名誉教授の方までもが関わったという。2014年からプランニングが始まり、設計・製作のプロセスを経てカタチにしたとのことだ。
いわばこの巨人は、日本のモノづくりへの思いの結晶のようなものだ。


蒼青とした冬空に18メートルにもなる白い巨躯が佇みうごく光景を実際に目の当たりにしたとき、現実感のない素晴らしさに 無論圧倒はされたのだが、“感動”だとか“すごいなあ”という感嘆のワードよりも先に僕の脳内に浮かんだのは、昔聴いていたある歌の一節だった。



それは機動戦士ガンダムのテーマ曲のめぐりあい宇宙や哀戦士、オープニングの類ではなく、THE BACK HORNのコバルトブルーという曲のワンフレーズだった。

だけどオレたち 泣くためだけに 産まれたワケじゃなかったはずさ



僕が所謂”メーカー”に開発として就職してから、9年が経った。

巷には“いいとき”もあれば“悪い時”もあった、などという文章があるが、少なくとも僕には、“いいとき” なんて一瞬たりとも無かった。


2009年に就職先を探し始めたときは、前年に起きたリーマンショックだとかいう大事件っぽいものの煽りのせいですべての需要がキンキンに冷え込んでいたし、未曾有の氷河期とか言われていた。今の学生からすればとても信じられないかもしれないが最終面接の予定が決まっていた企業から連絡がきて、「ウチは採用活動自体やっぱり辞めます、すみません他で頑張ってください」なんて言われた経験もあった。50社,60社の面接は当たり前で、100社受けて1社も決まらないやつもいた。新聞は就職難の鬱によって命をたつような人もいるなど、ネガティブな黒ずんだニュースで埋め尽くされていた。
圧倒的な向かい風だ。僕は理系だが、僕の同期年度は、正直なところ研究は続けたくないが、たいした成果もない学卒研究では自分を志望企業にアピールしきれず就職できなかっために、やむをえず大学院への進学を選択した、というパターンのやつもいるだろう。



当然実際に仕事をはじめることになってからも経費削減、無駄の許されない状況と、失敗のできない緊張感と元気の無さが継続していた。僕の業界が、景気が、とか職種が、という規模の問題ではなく、もはやどの友達に話をきいても状況はそう変わらなかった。
色々なものが削ぎ落とされ、終身雇用感覚の崩壊とともに、ぼくたちの世代は夢を語ることよりも老後への貯金の額を語ることが多くなった。
サイアクの自体を常に想定し、自分だけが生き残るためのアイデアや、食いぶちを探すスキルアップのようなことや転職サイト、自分の組織への愛のなさのアピールをすることが大好物になってしまった。同世代で集まっても、ポジティブに愛社精神や夢を語ることは恥ずかしいことのような空気が流れ、イマドキでないような感じになった。
これらのことで、自分が変化についていけていないのに、無理やり変化しているふりをしてどんどんつまらなくなっていくように感じた。

ロマンは霧散し、次第にリアルとなっていった。



先輩方や僕の師匠にあたる人はみな、“昔はよかった”ということをどんな人でも年1回は思い出話のように聞かせてくれた。アイデアを詰め込んだものの世に出なかったプロジェクトがすごく楽しくて得るモノがあっただとか、なんでもやってなんでも売れた時代のことや、飲み会やイベントの豪華だったことなどを懐かしいような、悲しいような口調で僕にたくさん話してくださった。



いまは、とにかく誰もが毎年毎年向かい風で、ジリ貧だ。



正直僕にとってはこれが当たり前の感覚なので、特段嫌気がさしたり、やめたいだとか、がんばれないとか思ったことはなかったし、深く考えたこともなかった。





僕らは泣くためだけに産まれたのだと思っていた。


そういう時代も、そういう役割も必要なのだと。


ガンダムは、
ガンダムを歩かせたいというプロジェクトの夢は、そういうことを僕にすべて一度思い出させ、そしてもう一度忘れさせるくらいに、シンプルで、そしてパワフルだった。






僕はいったい何のために開発職についたんだっけ?










この代表理事の宮河さんの言葉は、まだぎりぎり活動を停止していない僕の魂のような部分に刃となり、深くまで突き刺さった。おそらく一気に抜けば絶命するほどに深く。

今にしてよくよく思い返せば、これは僕の上司達が僕にいってきたことと同じだった。

2009年 18メートルのガンダムを立てたいと思いました。
「なんのために?」
多くの人から言われました。
(中略)
「できること」を繰り返すのではなく、「未知のこと」への挑戦。
「できないこと」だって、今はまだたくさんあるでしょう。
我々は、驚きや感動の為に、ただチャレンジし続けたいのです。

ガンダム GLOBAL CHALLENGE  代表理事 宮河 恭夫
(引用元:GUNDAMFACTORRYYOKOHAMA OFFICIAL BOOK)


ガンダムは各々のプロダクトのメタファーだと思った。僕らをふくめた、日本の企業それぞれが抱えているそれぞれのプロダクトは、このガンダム のように夢や思いからくるものになっているのだろうか。単に夢のないコスト競争の産物か、自分たちはわからないがとにかく投げやりに言われるがままに造ったようなモノになっていないだろうか。
そして一度立った実績のあるガンダムを次に“動かしたい”ということにお金を、リソースを、魂を託す、つかうことのできる思考が、泣く為に産まれたことを受け入れていた僕に、あるいは僕たちの世代に、残っているのだろうか。




僕の瞼には、実物大のガンダムが、僕の生きているうちに自立歩行で歩いてしまう様がありありと浮かんだ。現在の技術で地球の重力下では不可能とわかっていても、このチームなら、この人たちなら、ガンダムなら、たとえ月に送ってでも、無重力状態を作り出してでも、必ず歩かせるだろう。



自分たちも、自分のガンダムを、自分たちの手で歩かせたい、歩かせなければならない、ということを思い出させてくれた。
狼狽するよりも、たまには夢くらい語ってもいいだろう。僕ら30代前半のしょうもない者たちが守りに入って、いったい誰が攻めるというのだろうか。失うものを恐れ、延命措置を考慮するのはもっと上部の役割だろう。


40代の僕が何をしているかわからないが、
もし、まだエンジニアと名のつくような職業にすがっているのであれば、よくわからないものを守ってディフェンスの時間を過ごすのをいますぐ辞めてほしい。


2020年にガンダムファクトリーで、おまえの心に、確かに流れた”コバルトブルー”を思い出せ。



オレたち、
泣くためだけに産まれたわけじゃなかったハズさ。



泣いてばかりいる状況を享受し続けてはダメだ。泣いていることに気づき、顔をあげ、涙を拭かなければならない。

誰かが、どこかの世代が前を向かなければ、下も、その下も、未来永劫泣き続けることになるだろう。









よく思い出せなかったけど、後でしらべてみたら、THE BACK HORNのコバルトブルーの歌詞は、終わりに向けてこう続いていた。

さあ笑え笑え ほら夜が明ける 今
俺たちは風の中で 砕け散り一つになる
大袈裟に 悲しまずに
もう1度 はじまってく

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