より深く、より人間的に〜METライブビューイング「ドン・カルロス」フランス語


 METライブビューイングで、ヴェルディの「ドン・カルロス」を見てきました。フランス語5幕版での上演です。
 
 1867年に初演された「ドン・カルロス」は、元々はパリのオペラ座の依頼で、フランス語の「グランドオペラ(フランス語でグラントペラ)」として作曲されたのですが、現在はイタリア語のオペラ「ドン・カルロ」として上演されることが多い作品です。特に、1884年のスカラ座での上演に際して編まれた4幕版での上演が多くなっています。「グランドオペラ」版の長さや、決定稿がないことが原因です。
 
 イタリア語4幕版は、確かに音楽の密度が濃く、聴きどころが連続してそれはそれでよくできているのですが(華麗なるアリア合戦的な部分も)、5幕版の第1幕にある、主人公2人が出会って恋に落ちるシーンがなく、幕が開くと唐突に主人公のドン・カルロが恋を失って嘆いている場面になってしまいます。その後、カルロは、自分の婚約者だったのに政治的な理由で父のスペイン国王に嫁ぐことになったエリザベッタを思い続け、これがドラマを動かしていくので、恋に落ちるシーンがないとストーリー的には説得力に欠けてしまいます。そのため、第1幕を復活させたイタリア語版も生まれており、これも最近ではよく上演されているようです。METも、これまでの「ドン・カルロ」はイタリア語5幕版での上演でした。
 けれど今回、METとしては初めて、フランス語5幕版の上演に踏み切ったのです。
 これは、現在の音楽監督であるネゼ=ゼガンの意向が大きいようです。彼はフランスオペラが得意ですし、上演されていないレパートリーの発掘に意欲がある。それにやはり、なんと言っても「ドン・カルロス」はフランス語オペラとして成立しているのですから。
 
 とはいえ、「ドン・カルロス」のフランス語版を上演するのはなかなか厄介です。とにかく直前まで手が入れられ、初演後もカットがあったりして、初日に上演された楽譜が完全な形で残っていない。ゲネプロ版と初演2日目の版。それもどうやら完全とはいえないらしく、最近でも断片が見つかったりしているよう(詳しくはこちらの記事に書きました)。https://mainichi.jp/articles/20171111/org/00m/200/002000d...
 だから、これが決定稿、といえるヴァージョンがないのです。その点、スカラ座用のイタリア語4幕版は残っていますから、やりやすい。

 「フランス語5幕版」と銘打った上演が現れ始めたのは20世紀の終わりですが、その嚆矢となったパリのシャトレ座での公演は、イタリア語版5幕版をフランス語に置き換えた、と言った方がいいような上演でした。フランス語の美しさは理解できましたし、第1幕の素晴らしさもよく分かりましたが。

 とはいえ、フランス語版「ドン・カルロス」を上演する意義は大いにあります。何より、「ドン・カルロス」と「ドン・カルロ」は別のオペラと言っていいくらい違うのです。フランス語の響きの流麗さ、レシタティフと歌の連続性、オーケストラの色彩感。その全てが、イタリア語版にはないものです。そして何より、人物の心の綾の深い彫琢が、イタリア語版には欠けています。

 イタリア語版は、まずイタリア語の響きにともなって音楽がよりメリハリの効いたものになっているのですが、何しろカットが多いので(オリジナルの半分近くがカットされている)、微妙な心の移り変わりが省略されてしまっているのですね。感情がやや一本調子になってしまっている。思い惑う部分がなくなってしまっている。だから元々唐突なところのあるストーリーが、余計唐突に感じられてしまうのです。
 これがフランス語版だと、冷酷なキャラクターであるフィリップ2世(イタリア語でフィリッポ2世、以下同)も、いろいろな場面で思い惑う。例えば第4幕の最後、ロドリーグ(ロドリーゴ)の死の後で、フランス語版にはロドリーグの葬送のシーンがあり、フィリップもまた彼の死を悲しむのです。これはイタリア語版にはありません。
 また第5幕の大詰め、カルロスとエリザベート(エリザベッタ)の別れの二重唱でも、二人はふと男女としての面を見せてしまったりする。そういう、心が揺れるところが、フランス語版には多い。その結果、ストーリーも人々の葛藤も、より自然に受け入れられるのです。長くとも、とても説得力のある作品になっている。だから、想像したより長さを感じない。演奏が良かったせいはもちろん大きいですが。

 とはいえ、今回のMETの上演でもカットされた部分はかなりあるようです。グランドオペラの定番であるバレエ音楽がカットされるのはまあ、ストーリーとは関係がないからいいと思うのですが、2004年にウィーンの国立歌劇場で上演され、「オリジナル」をうたった「フランス語5幕版」は、バレエも含めて残っている音楽をほぼ網羅しており、今回の上演よりまた1時間近く長い。これは映像になっていますし、なんと2020年にカウフマンがタイトルロールを演じた時の公演がopera on video というサイトで見られます(ライブストリームされたようです)。これを見ると、より葛藤が丁寧に描かれているのが分かります。
 ちなみに2004年の初演時には、コンヴィチュニーの過激な演出が話題になりました。バレエ音楽は「エボリの夢」というタイトルで劇中劇になっています。現地でまだ見ていないので、是非見てみたいプロダクションの一つです。
ウイーン国立歌劇場「ドン・カルロス」映像
https://www.hmv.co.jp/news/article/1105160058/
2020年にカウフマンの主演でライブストリームされた映像 @operaonvideo
https://www.operaonvideo.com/don-carlos-vienna-2020.../
 
 とはいえ、今回のMETの「フランス語5幕版」でも、フランス語「ドン・カルロス」の素晴らしさは十二分に伝わります。やはり主役2人の恋の発端を語る第1幕があることで、第2幕以降の展開がとても自然に思えますし、カルロスに共感できる。カルロス役の歌手にとっても、出ずっぱりで大変とはいえフランス語5幕の方がやりがいがあるのではないでしょうか。4幕版だとアリアがないけれど、5幕版だと開幕部に美しいロマンツァがある。この役は大変なわりにアリアがなくて目立てず、テノールは敬遠するのだとよく聞きますが、その点は5幕版の方が良さそうです。
 そのタイトルロールを歌ったマシュー・ポレンザーニ。素晴らしかった。何度も聴いている歌手ですが、今回が一番良かったかもしれません。美声に加えてスタイル感があり、エレガント。悩み、葛藤する恋する男としての演技もとても良かった。
 ロドリーグ役のカナダ人バリトン、エティエンヌ・デュピュイも、若々しい正義漢を共感を持って歌い演じて名演。おそらく唯一のフランス語ネイティヴということもあり、フランス語のエレガントな響きは映えます。デュピュイはなんと、「ロドリーグとカルロス」の友情を歌う曲を作曲したそうで、インタビューの際に弾き歌いした映像が出てきました。2人は幼馴染!よく一緒に遊んだ!などなど。これは実はラストの伏線になるのだ、と最後に気づきましたが。。。
 エリザベート役のソニア・ヨンチェヴァ。この役はフランス語でもイタリア語でもかなり歌い込んでいる。それだけあって充実の名唱。しなやかで情感のある声はよくコントロールされ、レガートも美しく、気高く芯の強いエリザベートを造形。声のしなやかな強さ、コントロールの良さなど、ネトレプコに迫るものを感じました。
 エボリ公女役のジェイミー・バートンは第4幕のアリアで強烈な存在感を発揮し、輝かしい高音で会場を圧倒。大審問官ジョン・レリエの怪演も印象的。フィリップ2世のエリック・オーウェンズは、弱さを感じさせる人間味豊かな国王を好演していました。急病のネゼ=ゼガンに代わって指揮をとったパトリック・フラーもよく音楽を歌わせ、丁寧にスコアを再現して高感度の高い指揮でした。
 
 デヴィット・マクヴィカーの演出は、「カタコンベをイメージした」(本人)という何層にもなった石造り(に見せた)の壁をメインにした壮大で重厚なもの。火刑の場面では絞首刑用の台が使われたり、フィリップの書斎の場面では降架するキリストが天井から下がったりと場面場面に応じた工夫もあります。ラストは、カルロスが落命するのですが(これはしばしばある演出)、その先!にサプライズもあり、これはこれで痺れました。ぜひ映画館でご確認ください。
 
 幕間のインタビューもそれぞれ興味深く、多くのキャストに作品への共感が見られたのは素晴らしいことでした。各人が史実のキャラクターをよく把握しており(ひょっとしたら演出家が説明したかも???)、それを参考に役作りをしていることがよくわかりました。
 
 残念ながら上映は今日までで、アップがギリギリで恐縮です。私は火曜日に行きましたが、よく入っていたので、本当はもう1週間くらい上演があるといいのですが。
https://www.shochiku.co.jp/met/program/3764/


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