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また書くことに疲れて考えてみた

月イチで書こうと決めていた note だったのに、また七か月空いてしまった。これの前に書いていた本名で執筆していた note は、親に見つかって(まあ本名でやってたら仕方ないよな)、見つかる分には構わないんだが例によって例のごとく「うちの子すごい」の自慢のネタに使われたのが心底イヤになって、記事を全部消した。

こうやって、ブログも、note も、いろいろと書き散らかしては中途半端にやめてしまうこと20年ほど。ブログどころか人間関係もいつも中途半端にリセット症候群を発動して、全然続かない。

人間関係は置いておいても、こうして公に向かって発信することに疲れてしまう理由ってなんなんだろうなと思ったのだけれど、そういえば私はいつも「誰かが自分の note を読んで励まされたら」という気持ちで書き続けていたことに気づいた。動機は常に「誰かのために」だった。

これが、すごく疲れる。

だって、いつも軸は「自分」ではなく「誰か」にあるから、読者の反応がいまいちだったり、いいねやRPが少なかったりすると、それだけで全部消したいような羞恥心のようなものすら感じてしまう。

私はそうやって、誰かに期待に応え続けて生きてきたから、骨の髄まで「誰かのため」が染み付いてしまっていて、自分がどうしたらいいのかが分からなくなっている。

特に文章を書くということに関しては、自分のために書くということがどういうことなのか分からない。

自分の好きなこととか、楽しかったこととか、美味しかったものとか、そんなことをつらつらと綴るということが、どうやってやればいいのか分からない。なんなら、そんなことを書くのは「無駄なことをしている」と思って、罪悪感すら覚えてしまう。

そりゃ続かないよ。そんなの続かない。燃え尽きるよ。

だから私、ちょっとこれから練習してみようと思う。

自分のために、どーでもいい(とは?)、何のタメにもならん note を書いていく練習。好きなことをただ好きっていう練習。

今日からこの note は、私のためのものだからね。

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