個人的メモ書き・音を出すことについて

 箇条書き。気が向いたら詳しく書きます。
 個人練習中に思いついたことなので、これがアンサンブルでどう活かせるのかは謎。沈黙の共有と扱いは有用であると思いたい。

音を出す=沈黙を破る行為

 音を出すときは、「どうやってorどんな音を出すか」など音を出す行為のみに集中するのではなく、「いかにして現在の沈黙を破るか」に注意を向けてみる。これは曲頭のアウフタクトの扱いや、休符の越え方にも影響するのではないか。

音符を弾き続ける、音を出し続けることの責任

 よく言われるのは「弾き始めはプレッシャーが大きいが、ある程度音楽の流れが出来てしまえば楽になる」ということだが、音符を弾き続けるあるいは音を出し続ける行為は布にはさみを入れるように、沈黙を破り続ける責任は常に生じているのではないだろうか。確かに最初のプレッシャーからは解放されるものの、それが惰性で次の音を出すことに繋がってはまずい。
 演奏する楽器の役割分担から、曲中の長い休みやtacetで雰囲気を壊さず出番を待つことに対する責任は感じている。しかし音を出し音符を弾き続けることへの責任について考えたことはあっただろうか。

良い音は無責任なことがある

 良い音を出ことは世間的評価のひとつだが、演奏にあたり作品の表現ではなく良い音を出すことが第一目的になってしまったとき、良い音は無責任なものとなり、むしろ仇となってしまうことがある。
 作品と向き合って、その向き合い方が成功した時のご褒美くらいに思っていた方が良いのかもしれない。

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