“可愛い”

昔から男が結婚相手の女に求める条件は「可愛いこと」だという
可愛いとは、自分に楯突かない、自分の人生を邪魔しない、自分のプライドを傷つけないこと。
だから高学歴だったり自分よりキャリアのある、自立した女性は理想的ではない
社会学で上のようなことを習った
だから、その先生は礼節として、女性に対して可愛いとは言わないらしい(可愛いという言葉を使うのは、動物や赤ちゃん、物などにだけ)
それを聞いて、真夜中乙女戦争という小説にそういうくだりがあったなと思い出した
その小説には女を可愛い可愛いと言う遊び人の友人に、「可愛いというのは、相手を下に見ているということだ。女性に綺麗とか美しいとか思うことはあっても、可愛いと思ったことはない」というような台詞がある。

その意見も一理あると、わたしは思う
でも女の子に向けられる男からの「可愛い」はすべて、潜在的に相手を下に見ているが故の発言なのだろうか?
それも違うと思う
私だって女の子を褒める時に可愛いという言葉を使うし、可愛いと言われたら嬉しい。それは相手を下に見ているからではない。少女性を感じられる愛らしい女の子には「可愛い」という言葉が合うし、凛とした大人の雰囲気を感じる女性には「綺麗」と言ったりする。単なる、受ける印象による言葉の使い分けでしかない。そこにそれ以上の意味はないのだ。

たとえばまわりの人(男も女も)が私に言ってくれる可愛いと言う言葉に蔑視が含まれているとはまったく思わない。私のことをほんとに褒めてくれてるのがわかるしすごく嬉しい。だからもっと言って欲しいし、可愛くなりたいと思って頑張る
一般的に使う意味での、褒め言葉としての可愛いはあたりまえに嬉しい。

でも、男が女に「自分に楯突かない、言うことを聞く、“できない”子(=“可愛い”子)」を求める傾向があるのも、否定できないのかもしれない。
程よく隙があり、男に頼ったり、顔を立ててあげられる女の子の方がモテるのは事実だと思う
私はそれが非常に苦手だし、男に頼ってなんかやるかと思っている。男の方が稼げる社会に腹が立ってるし、若い世代はそんなことないかもしれないけど(同世代の男性と接していて差別的な態度に触れたことはない)上の世代になるほど男の方が上である的な古い価値観がいまだに支配してる。クソ喰らえ!

いまだに男尊女卑がある的な現状の話を何処かで聞くたびに私は腑が煮え繰り返るような気がして、世の中の男をすべて睨みそうになる
私はフェミニストだろうか?
別にそんなことはない。大抵の女は、自分が被差別側、弱い立場にいることをよく思わないのだから(人間誰しもそうでしょう)憤るよ
でも、男がすべて男が上だと思ってるわけでもなく、さっき言った通りそれは古い価値観だ。ここで男はとひとくくりにすることも、男女差別を加速させることになりかねないから避けたい。

ちゃんみなの曲に、「正直一人で生きていける
だから可愛げがなさすぎる この国はそんな子はモテない呪いがあるんだ」という歌詞があるんだよね
わかるわ〜って思いながら聴いてます
でも私はそんな国で男に頼らずに自立した人間として開花したい
男に媚びて生きていくのが大嫌い
だから、私はアイドルみたいに可愛さを売りにして人を笑顔にする仕事(男だけではない、その相手は老若男女に開かれている)は肯定できるけれど、“パパ活”に物凄く抵抗がある
パパ活は、経済力のある男性に金で買われることだ。自分が男に頼らないと稼げないことを受け入れることだ。少なくとも私にとっては。可愛さを売りにしたとしても、時給で雇われるのとは根本的に違うと思う。

私は今までちゃんと勉強して(させてもらえて)高校受験にも大学受験にも成功して、勉強以外でも色々な能力を身につけたし、一個の人格として自分を大切に思っている。それが、女であるというだけで惨めな思いをする謂れはない。

同じくちゃんみなの曲に、「君の周りにはシンデレラ 私は君に愛を歌うロックスター」という歌詞がある。
男が女に「可愛さ」を求めるのと同じように、女は男に「高身長、高収入、高学歴」を求めて幸せにしてもらうことを望むと習った。つまりシンデレラだ。
でも私はそんなのいやだ。自分で自分の望みを叶えて幸せになりたい。男の人と結ばれて一緒に幸せになりたいとは思う、でも、やっぱり自分の望みを叶えるのは自分であってほしい
だからシンデレラじゃなくて、自分で自分を表現して輝けるロックスターのような人物になりたいと思うのだよ

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