【創作】夏姫ちゃんのお父さん


夏姫ちゃんのお父さんは背が高い。

体の3分の2は脚だったし、私の肩くらいの高さに腰があって、がっしりと骨太なのに、スラリとしている。

頭も小さくて、いわゆる10等身の日本人離れした体型をしており、夏姫ちゃんのお父さんが持つと全ての物が小さく見えた。

それから睫毛が長くて、瞬きをする度にパシパシと音が聞こえてきそうだった。少し茶色い瞳の奥は優しくて、何を考えているのか分からない。


いつだか私がピアノのCDを聴いている、という話をしたとき、夏姫ちゃんのお父さんはたいそう関心した様子でこう言った。

「そうか!ロックンロールは嫌いか」。

そんなこと言ってないし、むしろロックは好きな方だったけど、あんまり頷かれると水をさすのもアレだな、と思って黙っていた。


夏姫ちゃんはいつも、そんなお父さんを見ながらウンザリとした顔で「父さん、人の話聞いてないから。」と吐き捨てるのだ。


夏姫ちゃんは一つ結びにしてもまだ腰まである、長い髪をサラサラに揺らしながら、細い身体を斜めにして麦茶を飲む。なんでだか知らないが、夏姫ちゃんは斜めのことが多い。学校で机に向かっているときも、電車に乗っているときも。


夏のお姫様と書く名前も、地味な名前の私からすればとても羨ましく、生まれた時にあのお父さんの口から「この子は夏のお姫様だね」と言われたかと思うと、更に羨ましい。

本当にそう言ったか確かめてないけど、きっとそんな気がする。


小柄な夏姫ちゃんは、お父さんの背中に隠れると完全に見えなくなる。マトリョーシカみたいに、まるまるスッポリと収納される。

あぁ、いいなぁ。あの太くて日に焼けた腕に抱きつけて。いつもキッチリとワイシャツの1cm上に襟足が揃っているのを見れて。



夏姫ちゃんが羨ましいよ。と言うと、キョトンとした顔で、そっちのお父さんの方が全然いいじゃん!と返される。

え、そんな事は絶対に無い。



ウチのお父さんなんて、ウチのお父さんなんて太れない体質だから、電車の吊革に掴まるといつもガバガバの袖から脇毛が見えるし、おデコが退行しているのに体毛がすこぶる濃いし、おにぎりは必ず割って中身を確認するし、何故かトイレで口笛を吹くし、本屋さんが好き過ぎてお店の中でニヤニヤしちゃうし、お母さんの誕生日をいつも間違えるし、もう本当に嫌になる。


嫌なところを上げるとキリがないよ、夏姫ちゃんはそんな事ないでしょう、と言ったら、「でしょ」の辺りで食い気味に「あるよ!」と返された。夏姫ちゃん、たまに早くてビックリする。「ウチだって山ほどあるよ!」と、目をまん丸にさせて堰を切ったように話し出す。


父さんはいつも使ったボールペンをしまわないとか、靴下を脱いだままにするとか、最初は普通のダメ出しをしていたけど、

次第に声を小さくして「本当に嫌なのはね.......」と話し出したときは、夏姫ちゃんのお母さんの顔そっくりになっていた。黙っておこうと思った。

「本当に嫌なのはね、うちの父さん、何にでも名札をつけるの」

名札、名札ってこの名札?と、私は胸についた名札をプラプラと揺らした。夏姫ちゃんは無言で頷き、周りに人が居ないのを確認し、続けた。

どうやら、通勤カバンも、旅行用のバッグも、ペンケースにも、定期入れにも、手書きのタグをつけるんだそうだ。

タグは名刺くらいの大きさで、住所とフルネームがみっちりと書いてある。横書きの文字が倒れて斜めになっているのも気に入らない、と

夏姫ちゃんは眉間に皺を寄せる。誰にでも個人情報が丸見えなんて信じられない、こんなの誰もやらないよね?と言うので、そういえば昔、栃木のおじいちゃんが自転車にペンキで住所と名前を書いていた事を思い出した。こうすると、防犯登録しなくても戻ってくるんだよと教えてくれたけど、あの自転車はいつの間にが無くなっていた。


夏姫ちゃんのお父さんは忘れ物の天才で、どこへ行っても何かしら無くしてしまうので、持ち物になるたけタグをつけるようになったらしい。

事実、お財布を3回と、定期入れを4回、傘に至っては数え切れないほど無くしているが、全部戻ってきているという。

そこまで無くすのもすごいけれど、戻ってくるのはもっとすごい。それって中々ない事なんじゃないのか.....と思って、

私はつい「夏姫ちゃんのお父さん、物が必ず戻ってくるんだ。すごい人だね、物に好かれているんだよ、きっと」と言ってしまった。

すると夏姫ちゃんはフッと、大人のように笑って「物に好かれていたら、そもそも無くしたりしないんじゃね?」と言った。


私はそれでもやっぱり夏姫ちゃんのお父さんの方が素敵だと思ったけど、黙っていようと思った。


2019年8月24日

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