愛犬の死。延命治療、あなたならどうしますか?

実家には、犬がいました。
溺愛し、「飼っている」というよりは完全に「家族の一員」だった犬。
しかも、購入したり、譲り受けたわけではなく、自宅で産まれた犬だったので、それはもうかわいくて仕方がなく、産まれたその日からずっと家族でした。

しかし、わたしはその後結婚し、実家を出ました。
なので、犬との濃密な時間を過ごしたのは5年ほど。改めて思うと少ないものですね。
幸い、実家がドアtoドアで1時間程度なので、結婚後もちょくちょく会いに行っていました。

死因は老衰で、犬種が柴犬なので16年と5ヶ月生きた我が家の犬は、大往生だったと言えます。
母が看取ったようですが、苦しむこともなく、むしろあっけなく、本当に死んでしまったのか?と、鼓動を確認するほどだったそう。
わたしはそれを聞いて、心から安心しました。


先ほど、「自宅で産まれた」と書きました。なので母犬も、今回亡くなった犬の妹も、家族の一員でした。
母犬が亡くなったときは、17歳になり弱っていく犬の辛そうな姿を見ていられない……と、家族がまだその事実を受け入れられず、入院をさせて点滴をさせて、いわゆる「延命治療」を行いましたが、結果的にとても苦しみながら最期を迎えたそうです。
わたしは立ち会えなかったけど、話を聞いた限り、辛い現実を咀嚼するのに時間がかかってしまいました。

わたしは、旅人です。バックパッカーとして途上国もたくさん周り、特に好きなのがアフリカで、野生動物たちの生き様もたくさん見てきました。
南極大陸でも、自然の厳しさや、弱肉強食の世界を見せつけられました。
老いた動物や弱った動物が死ぬ。それは、自然の摂理でした。

そんなわたしなので、母犬が弱ってきた時点で
「家でできる範囲での介護をし、それでもダメなら自然に任せるべきだ」
と家族に伝えましたが、先ほど書いた通り受け入れられず、最悪の結果になってしまいました。
きっと、家族も後悔し、わたしの言いたかったことを理解してくれたと思います。

なので、そのこども達の晩年は極力自然に任せ、妹の犬も、今回の犬も、比較的安らかに天国に旅立っていったと思います。
家族が立ち会える火葬でお見送りをし、遺骨は実家に置かれています。


今わたしは夫と二人暮らしですが、いつか、自分で犬か猫を飼いたいなあ……と思っています。
でも今回の件で、ペットを看取ることの重みを再確認しました。
特に、家族での「飼い方や看取り方の意見が一致しているか?」が大切だと思います。

夜になるとふと、犬との思い出が蘇って涙が流れます。
わたしがお腹を壊してトイレで苦しんで唸り声をあげていたら、犬の足音が聞こえてきて……少しドアを開けてみたら、心配そうに覗き込んできてくれたこと。
夫と一緒に散歩に行き、線路沿いの道で電車が来ると、全力で並走していた後ろ姿。
泊まりがけでキャンプに行き、夜まで外で談笑していたら、犬が「そろそろ寝ようよ?」と言わんばかりに、家族の肩をチョンチョンと手でつついてまわっていたこと。


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昔、犬との思い出はプライスレス!みたいなCMがありましたが、ほんとうにその通りだと思います。
無条件の愛を注いでくれる存在、それが犬たちでした。

いつか、虹の橋でわたしが来るのを待っていてくれるのでしょうか。
また、みんなに会いたいです。
今まで、たくさんの楽しい、幸せな時間をありがとう。


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まだまだ物書きとして未熟者ですが、サポートいただけたらとても嬉しく、励みになります。