見出し画像

噓日記 3/6 やる気うどん

今日は朝からやる気が湧かなかった。
普段のやる気が湧かないとは比にならない、全くのガス欠。
空っぽからのスタートだった。
そんな日っていうのは目が覚めた瞬間から分かるものだ。
いつも設定している目覚ましよりも一時間近く早く目が覚めて、「あっ、今日ダメだ」とすぐに悟る。
枕元に転がっているスマートフォンで上司に病欠の連絡を入れて、返事も待たぬまま、また眠りにつく。
設定を解除し忘れた目覚ましが、けたたましく響くので普段通りの時間にも一応目が覚める。
スマートフォンには上司から病欠について把握したというメッセージと体調を心配してくれているメッセージが届いている。
そんなメッセージを一瞥しつつも、返信することなくまた目をギュッと瞑る。
それから昼過ぎになるまで、布団の上をモゾモゾと居心地悪く寝転がる。
体調不良といえば体調不良、いや体はおかしくない、強いて言葉で表現するなら心調不良か。
心がついてこないから体が動いてくれない。
だから何故かズル休みをしているような、そんな罪悪感が募る。
どこもおかしくないのに、何もかもがおかしく感じてしまう。
自分を責めてしまう、そんな感覚。
胸はどんどん痛くなる。
そんな時、何故か何か食べておかないとという危機感みたいなものが働く。
仕方なく布団から起き上がって、冷凍庫から冷凍のうどんを一玉取り出して、袋に入ったまま電子レンジで解凍する。
解凍されたうどんを美濃焼のどんぶりに移し、卵を割り入れて、醤油を回し掛け、最後に青ネギと鰹節を散らす。
釜玉うどん、どんな時でもこれさえ食べておけば意外と気分が良くなる。
キッチンに立ち、焦点の合わない目でうどんを見つめているのかそれともその先の床を見ているのか、丁度分からないままにズルズルっと啜る。
その瞬間、何故か分からないが火が灯るような感覚がした。
焦点が急に合うような、ピントが定まったような。
自分の中の自分の所在が不意にカチッと、自らの認識に重なった。
これをやる気と呼ぶのかもしれない。
釜玉が一口、次の一口と加速度的に旨くなっていく。
生きていくってこうなのかもしれない。
答えってこうなのかもしれない。
うどんを食べ終え、どんぶりをダンとシンクに置いた瞬間、いつもの自分に完全に戻った。
やる気に満ち溢れている。
とはいえ、休みの連絡を入れてしまったので仕事はできない。
なのでその後はあえて会社に一番近いコンビニに買い物に行ってスリルを味わったりした。
会社に教えてない名義の携帯電話で嫌いな同僚のクレームを入れてみたりした。
折角湧いたやる気を無駄遣いして過ごした。

どりゃあ!