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噓日記 2/7 目に入れても痛くない赤ちゃん

我が子は目に入れても痛くない、なんて言葉に信憑性が生まれるほど子どもというのが親にとってかけがえのない存在であることをは想像に難くない。
しかしながら、その目に入れるという行為を本当に実行したとするとどうだろうか。
今から約八十年前、アメリカのペンシルベニア州の男性が驚くことに我が子を目に入れてみたという話を知っているだろうか。
俺は知らない。
この俺は知らない構文の便利さに世間が気付く前にそんな書き出しから始まる日記を量産し続けようと思う。
さて、子どもというものは可愛いものだ。
生まれたばかりの赤子なんてものはその辺のおっさん未満の毛量のくせに大層可愛い。
むっちむちの頬をブルンブルンと揺らしながら体をくねらせている様子をみると、その頬にむしゃぶりつきたくなる。
俺の中の存在し得ない父性が暴れ始めるのだ。
俺は頬にむしゃぶりつくことを父性と呼んでいる。
赤子は腹が減ったら泣き喚き、喃語をウニャウニャと口に出して、その勢いで口の端に泡を溜めて、糞と小便を垂れ流してまた泣き喚く。
冷静にその生態だけを観察すると現代の貴族みたいな生き方をしている。
だが、それらを全て許容してしまうほど赤子は可愛さを我々に振り撒いているのだ。
なんでこんなに可愛いのかよ、ガキという名の宝物。
俺の中の言葉遣いが悪い大泉逸郎も出てくる。
そんな何もできない生き物が少しずつ何かをできるようになっていく、それを共に学んでいくというのが親の特権であり甲斐なんじゃないだろうか。
俺も親になればそうありたいものだ。
一応、いつかのために子どもが生まれたら教えてやりたいことはリストにしてまとめている。
スプレッドシートにして狙ってる女性に共有してる。
八人に共有している。
九人で共同編集している。
最初の行にふざけてエルボーって入力したせいで治安も終わっている。
モラルハザードが起きている。
生まれた子どもに教えてやりたいこと、エルボー、ポイ活、ふるさと納税、アップリケの縫い付け方、ライターのオイル補充、からあげクンの買い方、マヨネーズの使い切り方、などなど。
子どもをなんだと思っているのか。
俺の子を産む気は無いのか。
無いんだと思う。
でもそのスプレッドシートガキ教え大喜利、結構楽しい。
子どもが生まれるっていう責任がどこにも存在していないから、皆が無責任でインモラルで無邪気なのだ。
つまり、俺たちも子どもに戻っている。
実は案外、育児ってそういうもんなんじゃないだろうか。
子どもと一緒に子どもに戻る、かけがえのない時間。
いや、知らんよ。
実際のところは。
子どもいねーし。

どりゃあ!