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噓日記 2/23 ラーメン屋

最近ラーメン屋に行ってないなぁとふと思った。
半年ほど前、飲んだ帰りにもう頭も腹もおかしくなってラーメン啜って帰ったのが最後の記憶。
飲んでいるので、もはや美味いも不味いもないラーメン。
味なんかよりも炭水化物と塩分で俺を殺してくださいという精神で食うのがラーメンだ。
キリングミーソフトリーラーメン。
真綿で締め殺される快楽がラーメンにはある。
そう考えると、ラーメン屋から足が遠のいた理由は酒にあるのかもしれない。
最近は飲みにも行っていない。
一人飲み歩いていた俺が今では家で大人しく本を読んでいる。
るろうに剣心を読んでいる。
ここ数ヶ月でタバコもやめたし、酒も減って、夜遊びもやめた。
どんどん真人間になってきている。
人間としてそういう体に悪いものは体が元気なうちから嗜んでおくべき、体にガタが来てからじゃ体験すらできないよ、という我が祖母からの最悪な教えがあるのだが、今考えると実際その通りだった。
元気なうちに体を痛めつけてやるのは案外心地の良いものだったし、現在ちょっとガタが来始めてからは控えるようになった。
余談だが祖母はタバコを吸いまくって癌で死んだ。
そらそうよ。
というわけで、ラーメンを食べていないことから気付いたのは、俺がもう人生について終わりを意識し始めているということ。
ラーメンは死の食べ物であるということは皆が承知の上だと思うが、その上でラーメンから自然に足が遠のいた俺は酒やらタバコやら夜遊びやらからも足が遠のきつつある、と言い換えることができる。
頭の中ではいつまでも若いつもりでいたが、いつの間にか体が生を求め始めている。
生きながらえようとしている。
俺が頭で思考しているわけじゃない。
体が自然とそうあるべきと俺を誘っているのだ。
俺は恐らくしばらくラーメンは食べないだろう。
ただ、カップ麺は食べる。
カップ麺は俺、ラーメンにカウントしてないもん。
あれ、ラーメンにされたらおじさん困っちゃうよ。
だってあれは別の食べ物だもん。
やる気のない昼とか、小腹が空いた晩とか、そういう時にいつだって俺の人生に寄り添ってくれたのがカップ麺だもん。
俺の人生に寄り添ってくれるのはいつだってカップ麺と死だけだもん。
カップ麺と死ってもしかしたら一緒かもしれないけどそれでも愛すよ。
よく言うじゃんね、人生はカップ麺のようだって。
生まれ落ちて二十歳くらいまでに人格形成してさ、そこからは残り火。
お湯を入れて三分、あとは伸びるだけ。
一緒じゃんね。
人生はカップ麺のようだって俺しか言ってないけど。

どりゃあ!