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愛犬との別れ

愛犬の銀ちゃんが亡くなりました。15歳と7ヶ月でした。
ペットが亡くなったときにblogを書いたり、Tweetする人を見て、どうしてなんだろうって不思議に思っていたこともありました。
でも自分が体験して、なんとなく気持ちがわかったような気がします。
誰にいうでもなく、文章にして、それを人の目に見えるところに置いておくことで、自分に対しての救いになるような、赦しになるようなそんな感覚です。

僕が大学生のときに、僕をかわいがってくれていた叔父が亡くなりました。ガンでした。
大学生だったので時間はたくさんあったのに、日に日に変わっていく叔父に会うのがおそろくて、お見舞いにいかなくなりました。
今考えると、何を恐れていたのか、なぜ行かなかったのかよくわかりません。でも、とてもとても後悔しています。今でもずっと。
数年前、僕を誰よりもかわいがってくれた祖母が亡くなりました。
叔父のこともあり、会社の帰り、時間が許す限りお見舞いにいきました。同居していた叔母をのぞけば、誰よりも祖母との時間を過ごせたと思います。
祖母にとって、50近い僕も、ずっと初孫のままで、僕に幸せになってほしい。僕の母、つまり祖母の娘のことをよろしくおねがいします、と何度も何度も僕に話しました。
最後は苦しい、こんな思いまでして生きていたくない、殺してくれないか、と懇願されるようになりました。
それでも僕は、ここで怯えて行かなくなったらまた後悔する、と思って通いました。
まもなく、祖母は亡くなりました。
僕は医師ではないので、祖母になにもできなかったけれども、それでも時間の許す限り祖母と一緒にいて、少しは祖母の力になれた、と思うことで悲しみはほんのすこしやわらいだ気がします。

なんでこんな話をしてるんだろう。
そうだ、僕は愛犬がいなくなったのと同じくらい、悲しむ母を見ているのが辛い。
でも、僕は母に言いたいのです。
母は、彼が家にきたときから、愛情を注ぎ続けてきました。
一度車にはねられたときも、年老いてしんどそうにぜえぜえ呼吸しているときも。
月なみな言葉だけれども、銀ちゃんは母と過ごした約16年、とてもとても幸せだったと思うし、母はこれ以上ないくらい銀ちゃんを愛していたと思う。
だから、もう泣かないでほしい。
後悔なんてしないでほしい。

直接言うこともないし、母がこのblogにたどり着くこともないだろうけれども、僕はそんなことを昨日からずっと考えてます。

書いていたらちょっと落ち着いてきました。
日曜日、銀ちゃんはお墓にいきます。
またいつか、会えるでしょう。その日まで、しばしおわかれです。
16年間、母を支えてくれて、ありがとうね。

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