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先生はえらい(著者:内田樹)

「誰もが尊敬できる先生」なんて存在しないし、昔からいなかった。あなたが「えらい」と思った人、それが「あなたの先生」なのだ。さまざまな例を引きながら、学ぶことの愉しさを伝授し、素晴らしい先生との出会いを可能にさせてくれる、常識やぶりの教育論。誰もが幸福になれる悦びの一冊。(Amazon内容紹介)

「先生はえらい」というタイトルを見た時、なんとまあ説教くさいタイトルなんだ…と思ったが、試しに読んでみると思いの他面白かった。

まず、著者の中での先生の定義はこうだ

先生というのは、出会う以前であれば「偶然」と思えた出会いが、出会った後になったら「運命的必然」としか思えなくなるような人のこと

これだけだと少し分かりにくい気がするが、この定義は「どういう条件を満たす先生がえらいのか」といったり「先生はこれこれの社会的機能を果たしているからえらいのである」というような度量衡として測れるような尺度ではなく、「あなたが『えらい』と思った人、それがあなたの先生である」という学び手の美しい誤解により、先生が定義されるという事だそうだ。

この”学び手の誤解”とは、「誰も気づいていないことに、私だけが気づいている」という陶酔や高揚に似たようなもので、「他の誰も知らないこの人のすばらしいところを私だけが知っている」という思い込みでもある。だって、”私だけが知っている”というのは「あなたの真価は(私以外の)誰にも認められないだろう」という「世間」からの否定的評価を前提にしているわけですから。

そんな自由で創造的な”主体的な誤解”は、先生から有用な技術や知識を教えてもらうことではなく、自分が学ぶことのできること、学びたく願っている生徒からしかできず、そこから学びと師弟関係は始まるとしている。

「先生はえらい」というタイトルながらも、誤解のコミュニケーションや学びの主体、はたまた沈黙交易や恋愛を題材に、「学びとは何か?」「先生はなぜえらいのか?」を根本から問い直す著者の考察は大変面白い。

全国の先生は勿論、生徒や学生の方に是非おすすめしたい本です。


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