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ダンスをもう一度考えてみる

「ダンス」と言われると、個人的にきらびやかで華やかなイメージを持つ。だが、「踊ってみたい?」と言われたら、私は「絶対に踊りたくない」と答えるだろう。それは、自分が極度の自己否定型人間であることに由来するからだと思う。そんな私は踊っている人をみると、「どうしてこの人はこんなに自分の容姿を見るのが好きなんだろう」と思ったり、心の中で「自分大好き人間」と決めつけているふしがある(我ながら嫌な性格だ…)。

だがここ最近、私のこうした偏見を覆す、大きな事件が起きた。それは以前エッセイの「アカデミックTV紹介」で紹介したテレビ番組「奇跡のレッスン」を録画再生していた時のことだ。

この番組は、世界で活躍する1流の指導者が、子供達に1週間の特別レッスンを行い、その過程で子供が成長して行く姿を描いたドキュメンタリー番組だが、その時の放送回のテーマがまさに「ダンス」にあたる。

奇跡のレッスン
毎週水曜日NHKBS1で放送


ダンス編で講師となるのはジャッキー・ロペスさん。ジャッキーさんはストリートダンスの数々の大会で優勝を重ね、UCLAで講師を務める傍ら、ストリートダンス集団を立ち上げ、その運営に携わっている。しかし、子供の頃の暮らしはとても貧しく、父は麻薬に溺れ、15歳から働くことを余儀なくされた。ただ、そんな生活の中でも、ダンスをしている時だけは幸せになり、情熱を込めてダンス教えるのも、ダンスで人生が救われたからだそうだ。

ダンス編最強コーチ:ジャッキー・ロペスさん
(画像出典:Eテレ)

そんなジャッキーさんの指導はとてもパッションに溢れており、各々の個性を大切にして、何よりもダンスを楽しむことを一番大事にして教えていた。そして番組の中では、こんな印象的な場面があった。

ジャッキー:「NHは私が踊っている時、いつも私を見ている、どうして。好きだから。」
NHさん:「それもあるけど…まねしたい」
ジャッキー:「いい子ね。でも、自分がいいダンサーだってわかっていない。顔を上げて。あなたのダンスはすごくいい。でも、どのくらいその事がわかっているのかな。これからは自分のために踊って。上手なんだから。自分に厳しすぎない?」

これほど見事な言葉の返し方があるだろうか。

自分の個性がわからず、がむしゃらに先生のダンスを真似ることでそのヒントを掴もうとしているNHさん。そんな彼女に向かって、「これからは自分のために踊って。上手なんだから」と、彼女自身のダンスを見つけ、そして認めてくれたのだ。私のような自己否定型の人間にとっては、「もっと自分を肯定してあげて」という暗示的なメッセージにも捉えられるので、この場面はどうしても感動してしまうのだ。

こうしたやり取りを見るうちに、私はふと、「ダンスこそ自分という人間を相手に知ってもらう最良のコミュニケーションツールであり、自己表現方法ではないのか?」と思うようになった。

例えば、あなたが見ず知らずの国を冒険している最中、とある辺境人と出会い、しばらく一緒に生活しなければならなくなったとする。その時、あなたはどうやってその辺境人とコミュニケーションを取るだろうか?

言葉、宗教、スポーツといった共通点がない以上、意思疎通を図るのはとても困難であると思われるが、一つだけ、共通している部分がある。それは、お互いに「体」があるということだ。

頭を抱え悩むしぐさ、両手を空に突き上げて喜ぶ動き、指をさして対象を示す動作などなど…このようにして相手に喜怒哀楽を示したり物事を伝える表現は、体を使えばすべて可能である。そんな身体を生かして踊るパフォーマンスは、自身の個性とエネルギーを相手に伝える為の世界を超えた共通言語である気がして私はならないのである。

これらを踏まえ、再度ダンスを考えると、彼らは自分大好き人間だから踊っているわけではなく、言葉では表現できない感情を、ダンスを通して表現することで、ありのままの気持ちとパワーを共有して笑顔になれる、だからからこそ踊るのではないか、と改めてダンスを考え直すのであった。


あとがき

今回、ダンスを踊る者の考え方として「ありのままの気持ちとパワーを共有して笑顔になれる、だからこそ彼らは踊る」という結論に達したが、その解釈をダンス好きの友人に伝えると「自分大好き半分、残りの半分は話してくれた通り」と言われた。あながち私の勝手な憶測も全く的を射てないわけではないようだ…。

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