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大好きだったソルリへ


叶わなかった。ずっと大好きだったソルリに会うことは結局出来ないまま彼女は先にこの世からいなくなってしまった。本当に突然のことだったけれど、いつそうなってもおかしくはない危うさはもう長いことあったよね。

ソルリのこと、大好きだったから当時は自分の気持ちをまとめたものを綴ろうとしたけれど、中々言葉が浮かんでこなくて結局もう、本人のいない誕生日がやって来る頃になってしまった。

おかしな話だが、わたしはソルリを少し友達のように感じていた。会ったことはないのに、もし会えたらきっと仲良くなれると、勝手な親しみを持っていた。同世代だし分かりあえる気がしていた。そう思えたのはソルリが芸能人らしく振る舞うよりも、普通の20代の女性のように恋愛する姿や親しい人にしか見せない姿をSNSを通して誰にでも見せていたからかもしれない。そういう姿を否定的な目で見る人は少なくなかった。見るだけでなく、彼女自身を言葉で傷付ける人も。そして見捨てる人も。

わたしの周りに韓国人の友達が何人かいるのだが、わたしがソルリが好きという話をする度に否定的なことを言われた。韓国では評判悪いよ、とか顔は可愛いけどあの子はいつも問題起こすよ、とか。いつしかわたしはソルリ(というかf(x))の話をするのが嫌になり、あまり話題にしなくなり、遂にはインスタのフォローまで外してしまった。わたしも彼女を見捨ててしまった。友達失格だ。

だから亡くなる直前のインタライブの内容だったりは全く知らなかった。彼女の足が、棒のように細くなっていたことも知らなかった。もう今日死ぬか、明日死ぬか、すれすれの状態だったのかもしれない。昨日は気分が良くても、1人になった途端、全てやめてしまおうと思ったのかもしれない。f(x)脱退の時もそうだったけれど、予兆はあったものの、彼女はふといなくなってしまう。変に飾らない彼女だったからこそ、多くの言葉を真摯に受け止め、傷つき、たくさん苦しんでしまったんだと思う。人生とか死についてよく考えてしまうようなわたしよりも先に、いつもニコニコ笑っているような女の子が消えてしまった。無理していたのかな、ことが起きるまで何も救えなかった。

ソルリが亡くなった知らせは自分の部屋で色々な人のインスタを見ていた時。友達の友達の韓国人のある女の子がソルリの写真と共に文章を載せていた。韓国語の意味は分らなかったけれど、嫌な予感がした。その後、Twitterで彼女に関する情報を調べた。感は当たってしまっていた。分かった瞬間、肘をついていた机に突っ伏して静かに泣いた。ものすごく悲しく、悔しくもあった。後悔した。ずっと自分のアイドルだった彼女のSOSに背を向け、見捨ててしまっていたことを。心のない言葉に気にしてないふりをした態度をとる彼女を少し信じていた自分を。彼女に一度も会えなかったことを。ソルリの死はわたしにとって衝撃的なショックだった。仲の良かった友達を1人失くしてしまった様な感覚。ああ、今でもショックだ。未だ引きずっている。表ではソルリの話題を一切口にしないわたしだが、実はもう更新されることのないソルリのインスタを見て泣くこともある。会ったこともない彼女の死を受け入れられていない。

若い頃はより悩み、より漠然とした不安がある。10代はそんな自分の理想や憧れの対象であるアイドルという存在を見つけやすい年頃でもあると思う。わたしの10代ではf(x)に出会い、ソルリという自分の憧れの女の子を見つけた。何でも深く考えすぎてしまうからか年を取ることを異常に怖く感じていたけれど、同じ年頃の憧れの女の子たちを見つけられて安心した。若さを失ってもわたしたちは同じペースで一緒におばあちゃんになっていく。怖さが少し減った。制服を着ていた頃がどんどん遠ざかっていくけれど、未だに唯一無二の子たちだ。美しさも持っている雰囲気もコンセプトの見せ方のうまさも彼女たちが最強だと思っている。もう今更、新たにそういう存在を探す気力もないし、出会えるとは思えない。可愛い子、スタイルの良い子は流行のサイクルが早い韓国では毎年出てくるけれど、彼女達が一番だと思う気持ちは変わらない。何年も変わらずわたしの憧れであり続けてくれることに感謝している。

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2020年3月29日。生きていればソルリ26歳の誕生日。ここに彼女がいないとしても言いたい。お誕生日おめでとう。美しいソルリ、あなたは永遠にわたしのアイドルです。

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