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私に影響を与えた人のことなど

 なんとなく、自分が影響を受けた人のことについて書き残したくなった。一人を除いて精神科医だが、私は精神医学を学ぶためというより、いわば人とは何かを知るためにこそ彼らの本を手に取ったのだと今は思う。ソーシャルワーカーの手による本で、彼らほど人間を克明に描くものはあるのだろうか。

中井久夫

 実家に置いてあった『精神科医がものを書くとき』が、精神科医の手による本で最初に手に取った本になる。多作なこともあって網羅はしていないが、なんだかんだマンガ小説以外だと中井の本が一番多いような気がする。私が中井から得たものは数多くあり、その一つ一つに言及する気力はないが、強いて中井にUniqueな影響を上げるとすれば、

  1. 患者に語れる言葉で書き、患者に話せる言葉で話すこと

  2. 自分の受け持ち患者をダシにして社会に物申さないこと

ことだろうか。

計見一雄

 これでケンミカズオと読む(いつも変換できない)。正直、計見について何か書きたかったことが本note記事の目論見。業界人の親族が彼と一緒に仕事をした縁で実家に『精神科救急ハンドブック』があったのが出会い。なんだかんだ彼の著作は『インスティテューショナリズムを超えて』と『戦争する脳』以外はすべて手元にあり、前者は人に借りて読んだ。計見からの影響はもっぱら

  1. 器質的な脳機能障害としての統合失調症に対して精神療法的アプローチを接続すること

  2. 統合失調症の陰性症状と実行機能障害に対する理解

 に集約されるかと思う。前者について、統合失調症者は薬を飲んでいればよいという極端な生物学的精神医学にも薬なしに精神分析で治るという極端な心理学にも、私はそのどちらの立場にも与さなかったが、統合失調症を生物学的疾患だと理解すること、生物学的疾患であるけれども精神療法的なアプローチが有効かつ必要だということの内的な整合性を計見から得た。彼が「脊髄損傷に対するリハビリテーションには神経可塑性がある」という話を援用したのは今でも覚えている。彼を通じて私の中で生物学としての精神医学と技術としての精神療法が接続されたおかげで、生物学的要因を見出すことへの倫理的な束縛から自由になった。
 後者について、仕事で出会う病者が実際には怠けているわけでも反抗しているわけでもなく、脳の行動計画がうまくいっていないのだという理解は、病者と関わる私のスタンスに決定的な変化を与えた。端的に待てるようになり、どこまで促せば行為が完遂するのかを考えながら口と手を出すこと(或いは出さないこと)を覚えた。これが何より現場で役に立った。
 余談だが、統合失調症はただの病気であって倫理的な意味はないという彼の言明を拝借して現場でよく使っている。
 若い時から語り口は悪かったが患者に対する真摯な愛を感じた。年を取ってから書いた本は説教くさく感じたので最後まで読めなかった。

高橋和巳

 邪宗門を書いた文学者ではなく精神科医の方。熱心なシンパ(当時)からの熱烈歓迎で勉強会に出入りし始めたのが出会い。彼の主張でもっともépoqueだったことは

  1. 虐待を受けた人の最も重要な他者に脳機能障害を見出したこと

  2. 思春期を超えられずに大人になった人たちがいること

  3. 葛藤を扱うという意味でのカウンセリング適応を軸にした脳機能障害/発達障害の枠組み

あたりだろうか。一時は高橋の脳機能障害理解にそれはもう熱狂的に傾倒していたが、結局その枠組みは私設カウンセリングルームにおける私費カウンセリングの適応という文脈に大きく依存していることに気づいた。ソーシャルワークの文脈では脳機能障害を見出すことは支援の始まりでしかなく、高橋の枠組みを自分なりに拡張したり解体再構築しないと現場ではやっていけないことに気づいたので、今では私の中での高橋は大事なone of themになった。
 実は高橋は精神病者に対しても非常に深い理解と示唆を与えてくれるのだが、虐待支援畑の人たちに祭り上げられて、統合失調症論は語られなくなってしまったのが残念でならない。

斎藤学

 当事者発信の毒親本を読んでいるときに読んだ『「毒親」の子どもたちへ』が出会いのようで、実は前出の親族経由で名前と話だけは少し知っていた。血は争えないものだ。
 彼も多作で全然網羅していないし、なんだったら去年の終りに書いたことと重複するので詳細は割愛。
 彼は毒親を定義しないことによって意図せざる客人に押し寄せられ、毒親概念を破壊され、最後にはその恨み言を本にする人になってしまったように思う。彼自身は自らを神格化することにも強硬に反対していたが、結果として失敗し、押し寄せた招かれざる客人たちによって望まぬ神の座に祭り上げられた。なんだかんだ言って虐待や愛着の畑で逃げずに<母子>を論じ続ける稀有な人だったが、クリニックも閉じてしまったし、執筆活動もおやめになるのだろうか。
 余談だが、彼のフロイト解釈は好みなのであれだけで一本書いてほしかった気持ちがある。「複雑性PTSDのDSM収載は精神分析の復権」なんて言ったら、彼はなんて言うだろうか。まあこれは、本流を系統的に学んでいない俗人の発想なのかもしれない。

おまけ:池田信夫

 今も昔もTwitter喧嘩師で色々な話題にいっちょ噛みしてはその道の専門家にたしなめられている人だが、私がtwitterを始めたのはそもそも池池コンビを追っかけようとしたのがきっかけで、当時はそこまで…いややっぱり当時からあんまり変わんなかったかも。でも、社会に対する彼の理解、特にマルクス読みには大いに影響を受けた。私が素朴な社会主義者にもナイーブなコミュニタリアンにならなかったのも、ひとえに彼のお陰。なぜか手放してしまった『希望を捨てる勇気』と今も持ってる『資本主義の正体』は結構熱心に読んだものだ。

おわり

追記:一部加筆修正しました。

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