あっちゃん

歩いて2分のところに幼馴染の『あっちゃん』は住んでいた。

玄関を出て右隣に五軒、そこから神社に向かって延びる緩やかな坂を上がった三軒目があっちゃんの家。玄関には当時には珍しいローマ字書きの黒い表札がかかっていて、いつも真っ赤なゼラニウムが咲いていた。

毎日、あっちゃんといると遊ぶことに困らなかった。

特に「探偵ごっこ」と呼んだご近所探検が二人のお気に入り。狭い路地裏を通って反対側に出ると見たことのない別の世界があって、また別の狭い路地裏を通って戻ってくる。一つ筋を間違うと、未知の世界に出てしまうのが楽しくて仕方なかった。

「世界一周」は、三輪車でご近所をグルグル回りながらやっと家まで戻ってくる。グルグル回っているだけだから、必ず戻ってくるのだけれど、自分たちの家が見えてくるまでのスリルがたまならかった。

私の赤い三輪車の後ろを、青い三輪車に乗ったあっちゃんが黙々と着いて来た。あっちゃんは怒ったりもしないし、喧嘩をした記憶もない。今、思うと、あっちゃんは無口だったから、もしかしたら我慢してくれていたのかもしれない。

あっちゃんと一緒なら、何をしても飽きなかった。何もしなくても飽きなかった。ゴロンと寝転がってテレビを見るだけの日もあった。

あっちゃんにはシンちゃんという二つ下の弟がいた。赤ちゃんの頃はお母さんと一緒だったけれど、歩けるようになるとあっちゃんと一緒にいるようになった。シンちゃんは泣き虫でちっちゃくて、いつもあっちゃんについて回った。

あっちゃんのお母さんは、工務店を経営していたお父さんの手伝いのために家を空ける時には「シンちゃんを、よろしくね」と言ったのを、あっちゃんは、真面目に忠実に守っていた。

やがて、あっちゃんとシンちゃんのお母さんは毎日、仕事に出るようになった。そして、気がついたら、小さなシンちゃんはあっちゃんとワンセットになっていた。

シンちゃんは怖がりでよく泣いた。

次第に、シンちゃんが出来ない遊びは避けるようになった。路地裏は足元が不安定で「探偵ごっこ」は、小さなシンちゃんには危ない。三輪車での「世界一周」もシンちゃんは一緒に行けない。大きな犬がいる家の前を走って通るのもシンちゃんが通れないからやめた。今までお散歩の帰り道に私に繋がれていた手は、いつの間にかシンちゃんのものになった。

ある日、いつものように、あっちゃんの家に遊びに行ったら、珍しく、あっちゃんのお母さんが出てきた。

「今日は遊ばれへんねん。シンちゃんが風邪ひいてるねんわ」
「元気になったら、また遊んでね」

今日は遊べないということだけは分かるのに、すっきりしない薄黒い闇が胃の辺り広がる。シンちゃんじゃなくて、あっちゃんと遊ぼうと思って誘いに行ったのに……。

「どないしたん?今日は、あっちゃんと遊べへんのん?」

母が聞いているのも無視して、押入れからブロックの入った大きな缶を引っ張り出し、畳の上に撒き散らした。ジャラジャラというブロックが磨れる音も雑音でしかなく、薄暗い闇は胃の辺りからなかなか消えてくれなかった。

あっちゃんは幼馴染で、恋心を抱いていたとかいうのではなく、自分の分身で空気のような存在だった。ずっと一緒に遊べると疑わなかったのに、自分の場所だけがなくなってしまった孤独感。誰も悪くないのに、自分だけが取り残されたような寂しい喪失感に苛まれた。

**

それから間もなくして、幼稚園が始まった。
でも、一緒に行くはずだったあっちゃんは同じ幼稚園には行かなかった。入園希望者は人数の関係で、クジ引きで入園できるかどうかが決まる。私の入園した年は、一人だけがハズレとなった。あっちゃんだった。
あっちゃんは、少し離れた別の幼稚園に入園した。

幼稚園での初めての社会生活は刺激的だった。世の中にはいじめっ子というのが存在することを知った。砂をかけられたり、あっかんベーをされ、何度も泣いて家に帰った。本当は、その子は私と一緒に遊びたかったのだと、付き添いのお婆ちゃんから聞いた。でも、やんちゃでガサツなショウタくんは嫌いだった。

さくら組のちぃちゃんの周りには、可愛い髪留めをしてレースのついたスカートをはいた女の子がいつも沢山いた。私は短パンが好きだった。だって、ジャングルジムや滑り台で遊べない。女の子のグループも一つじゃないのだと知った。

何をやらせても上手な男の子たかちゃんは格好良くて、席替えの度に隣の席になるのを祈った。たかちゃんの家に初めて遊びに行った時は、妙に舞い上がったのを覚えている。看護婦さんになりたいと思ったのは、たかちゃんのお母さんが看護婦さんだったから。

幼稚園での生活が充実し始めるのに反比例して、あっちゃんとは次第に遊ばなくなっていった。私も誘いに行かないし、あっちゃんも来ない。歩いて2分の距離は、24時間経っても、1年経っても、もう、縮まることはなかった。

***

小学校の入学式のお祝いに、スエードの靴をプレゼントしてもらった。グレーと赤のコンビネーションで、靴紐の部分と脇の切り替え部分が赤。今までの白いズック靴にない大人っぽいデザインで、履くと背が高くなった気がする不思議な靴は私を魅了した。

動作が雑な私は靴をよく履き潰した。歩き方が悪いのか、いつも左足の底だけ斜めに磨り減っていった。靴を履くのに爪先をいつまでもトントントントンするのが癖で、靴の先はあっという間に剥げていった。

そんなだから、「いっつものん」と「よそいきのん」の靴があり、お気に入りのスエードの靴は「よそいきのん」としてお出かけの日や習い事の発表会など、特別な日にだけ履くことの出来る靴となった。

小学校にも少し慣れたある日。

学校から戻ると、母が、急いで服を着替えるように急かした。

「すぐ、出掛けるから着替えなさい」

入学式に来た服をどうして今さら着るんだろう。玄関にはよそいきの靴がきっちりと揃えてあった。

「あっちゃんがね、死んだんやって……」

ピンとこなかった。一緒に遊ばなくなってから大分経っているし、あっちゃんが死んだという意味が理解できなかった。存在することすら知らなかった、生まれて初めて体験する「人の死」。

何が起こっているのか分からないまま、久しぶりにあっちゃんの家の前に立つ。いつもの真っ赤なゼラニウムはなくて、白と黒の幕が飾られている。

玄関を囲むように参列した黒い人だかり。あっちゃんはいない。シンちゃんも。子どもは私しかいなくて不安になった。黙って、よそいきの靴を見つめていた。

皆、下を向いたり、鼻を啜ったりしている。誰かの咳払いが不必要に響く。名前を呼ばれた人は一人ずつ家の中に入っていく。

「遊び友達、片岡ハルコさん」

全く予期しない展開にパニック状態になった。大勢の中で、マイクで私の名前が呼ばれたのだ。一体、どういうことなんだろうか。ビックリして母を見ると、母は何も言わずに私の手を引っ張って、あっちゃんの家の中へと入っていった。

いつも遊んでいた居間はなくなっていて、白い布の被さった大きな箱の上に、写真になったあっちゃんがいた。

母が小さな数珠を私に持たせた。
母がするのを見様見真似で手を合わせ、小さな皿に入った粉をおでこまで持ち上げてから別の壷へパラパラと入れた。
一回、二回、三回……。

「ハルちゃん、仲良くしてくれてありがとうね」

色黒のあっちゃんのお父さんの声を聞いたのは、この時が最初で最後。
その横でお母さんが泣き疲れて腫れた目で何も言わないで私を見ていた。

あっちゃんがいなくなった。
何にも言わないで一人で行ってしまった。
一緒に遊ばなくなって一年以上も経つのに、私が「遊び友達」って何?

何だか、むしょうに腹が立った。

ずっと一緒に遊んでなかったじゃない?
一体、誰と遊んでいたの?
幼稚園で、お友達はいなかったの?

悲しみよりも納得がいかなかった。理不尽だった。


歩いて2分の距離にいたのに……。
遊ぼうと思えばいつでも遊べたのに……。
ちゃんと「遊び友達」でいたかったのに……。
私、あっちゃんと遊びたかったよ……。


あっちゃんのお葬式からしばらく経った頃、母から、あっちゃんがどうして死んでしまったのか聞かされた。

あっちゃんはシンちゃんと一緒に公園に遊びに行き、何かの拍子にシーソーがお腹の上に落ちたらしい。あっちゃんは痛いお腹を抱えながら歩いてシンちゃんを家に連れて帰ってから亡くなった。打撲による内臓破裂が死因で、医者によると、歩いて帰ってこれたのが不思議なくらい損傷が激しかったらしい。

あっちゃん一家は、あっちゃんがいなくなって半年もしないうちに別の場所に引越して行った。

***

今になって思う。

あっちゃんも、私とずっと遊びたかったんだろうね。

責任感の強かった優しいあっちゃんは、シンちゃんのことを守らないといけないって思っていたのに、私はわかってあげられなかったんだろな。

私、あっちゃんを独り占めしたかったのかな。
わがままだったね。あっちゃん、ごめんね。

今さら言っても遅いのはわかっている。
やり直しができたらと思うことが多過ぎる。
あの時、わかってあげていたらと思うことがたくさんある。

あっちゃんは本当に幸せだったんだろうか。
私はあっちゃんに何をしてあげたのだろうか。

綺麗に咲いた赤いゼラニウムを見ながら、あっちゃんを思い出す。








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