「アナタとならば、パンとタマネギ」
月の法善寺横丁のごとく、包丁一本、さらしに巻いてスペインに嫁に来た私。まな板、軽石、浴用ゴシゴシタオルもしっかりと嫁入り道具に詰め込んだのはもう25年以上も前の話になる。
あまり自慢するところない私の極小リストの中に、「準備の良さ」がある。5歳の時に行った温泉旅行では、サイズの合わないブカブカのスリッパが嫌で、自分専用のスリッパを厚紙で前日作成し、色まで塗って持参した。ご丁寧に後ろはマジックテープまで付いていた。
就職早々、仕事に気合を入れすぎて急性胃潰瘍で吐血した時も、自分で救急車を呼び、ウォークマン、お気に入りの本、電話帳、小銭 ……。慌てふためく母をよそに、さっさと入院支度をし、救急車に「行ってくるわ」と言って乗り込んだ。
しかし、嫁に行くとなると話はちがう。支度だけではどうにもならないものがある。食生活の違いがその1つ。
今でこそ、食べ物で食べられないものなど無くなったのだけど、これでも、結婚当時はいくつかあった。その一つが「生のタマネギ」。美味しいと思えるようになるまで、これが案外、時間がかかった。
スペインの古い言い回しに「Contigo Pan y Cebolla」というのがある。訳すと「あなたとならばパンとタマネギ」。つまり「あなたとならば、パンとタマネギしかない貧乏な生活にも耐えれるわ」という健気な新妻のセリフである。日本ならばさながら「手鍋さげても……」となるのだろうか。
僅かな食べ物しかない貧困の時代、それでも手を取り合って生きる決意を表す言葉。かろうじて手に入れた命を繋ぐパン。そして、タマネギ……。じゃがいもと並ぶ、スペイン家庭を支える二大食材タマネギ。
「あんな辛いもん、生でなんか食べたれへん!」
1年近く、そう思っていた。もともと、健気な新妻からは程遠い、態度のデカい異国の嫁だった私。しかし、美味しそうにバリバリと食べる夫や義母の姿を見ると、自分が食わず嫌いなんじゃないかと、味見しないではいられなくなってしまった。あぁ、食いしん坊の悲しい性……。
(食べられなんだら、出したらええねん)と思いつつ、脳内メーカーは「辛い」の文字で埋め尽くされ、ごく端っこに「やめときなさい」と出ている。考えるだけでジワリと舌の奥あたりから唾液が溢れてくる。
このままで来たら食べるしかない。
唾液が涎になる前に、勢いに任せてガブリつく。
甘い!?
そう、ビックリすることに、甘いタマネギがスペインにはあったのだ。
地中海沿岸のバレンシア・ムルシアとラ・マンチャ地方の一部で採れる白いタマネギがソレ。春先と初冬に 出回るのだが、メインは春から夏。緑の部分を取り除き塩、もしくはビネガーをふりかけて食べる。
このタマネギに相性ピッタリなのが、この辺りで収穫される、酸味のほとんどないバレンシア産トマト。
外から見ると皮の部分は緑色で、まだ熟れていないのかと思うほど緑なのに果肉はもう真っ赤。面白いのが、義母に教えてもらった美味しいトマトの見つけ方。
「一番、不細工なのを買ってきてちょうだい!」
へぇ~、なのだ。
本当に不思議なのだけど、確かに不細工なトマトの方が、形よくシュッとしたトマトよりも、ずっと美味しい。理由は、今だによく分からず、この謎は、私のスペイン「食」の七不思議集の中にもランクインしている。
毎年、待ち遠しくなるこのタマネギとトマトのサラダを楽しめる季節もあと少し。塩と極上のエクストラ・バージン・オリーブオ イルをたっぷり回しかける。
このサラダにはビネガーはかけないで、素材の旨味をとことん楽しむ。残ったソースもパンにつけて食べてしまう。タマネギのシャリシャリ感と僅かな辛味が、肉厚で酸味が少ないトマトとうまく掛け合って、素朴すぎて癖になる。食欲のない夏は、これだけで十分満足する。
な~んだ。結局、生タマネギは、実は思っていたほど拷問でもなかったということか。
パリッと焼けた田舎風のパンにタマネギの輪切りを乗せて塩をかけ、上からオリーブオイルを廻しかける。バルに行くと、タマネギをそのまま縦に数カットして、塩をつけながらガリガリ食べているオジサンもいる。ツマミのオリーブの塩漬けみたいな感覚。
とはいえ、やっぱりタマネギはタマネギ。程ほどにしないとトイレの扉に「○○様専用」名札を掲げることになるので要注意。シャレにもならない。
まぁ、いずれにしても話の種にはなる。是非、試して欲しい。
ちなみに、たまにはゴマでも擦っておこうかと夫に言ってみた。
「あなたとならば、パンとタマネギ」
すると、こう言いなさる。
「僕のには、お肉も2切れほど付けてちょうだいね」
誰が付けてやるもんか!
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