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#わたしをかたちづくったもの 『潰しが利く人生』からの脱出劇

「潰しが利く」ようにという言葉がある。

子供のころからよく母に聞かされたものだ。
「潰しが利く人間にならなあかんで」と。


「潰(つぶ)し」というは、本来、金属製品や金貨銀貨を溶かして地金にもどすことで、「潰しが効く」は、つまり、金や銀などの貴金属は製品や硬貨であるものを鋳つぶして地金としても、また他の製品に造り変えても価値が下がらないことを意味する。

よって、社会においては、広い範囲の能力があれば、会社や仕事を変わっても他の場で活躍できるという意味になる”ようだ”

あえて”ようだ”というのは、今までの私は長い間、この言葉の上っ面だけを理解し、翻弄されていたところがあるからだ。




図画・工作は幼児期から大好きで、中学・高校ともに、クラブは美術部と運動部を掛け持った。

運動部は言えばオマケのようなもので、今思うと別に入らなくてもよかったんじゃないかというほど、これといった思い出がない。強いて言うと、補欠になったり踏み倒されたりする挫折を経験させていただいたとポジティブな記憶のカバーをそっと掛けておく。

大学の進路決定。ずっと興味のあったデザインを学ぶ芸術系を第一志望にせず、語学系の外語短大に進学。学費の問題もあった上、芸術系で芽が出れば良いが、もし出なければ勉強したことは無駄になる。それに、もし才能がなかったら……。

よし、国際語学系にしよう。
とりあえず英語ができれば『潰しが利く』。

『潰しが利く』

このキーワードは強い。

あの時、自信とか、勇気とか、やる気とかは何処に行ってしまっていたんだろう。浪人してでも気持ちをはっきりさせてから進学という手もあったんじゃないか。

そんなことを考えたのは、ずっと先の話で、この時点ではこれが正解だと思い込んでたのが事実。だって、英語ができたら仕事も探せるし……。

そして、大学に入った頃、大きな間違いに気づいた。私は英語が好きではなかった。それなのに何故、英語が中心の学校を選んでしまったのか……。


ここで直ぐに悔やんで悩んで落ち込んで、大学受験をやり直しをすればよかったのかもしれない。しかし、始めたからには出来るところまでやらないと気がすまない私の性格。

時間は止まらず流れている。今、こうしている時点も、一瞬のうちに過去になる。引き返して同じ場所から始めるなんて恋愛と一緒で無理。もう駄目だと思ったら、失敗やら涙やら恥ずかしさやら全部持って、そこからまた始めればいい。

面倒くさい性格。
馬鹿げている。
素直じゃない、本当に。

どうして自分が本当に欲しい物を簡単に手放してしまうのか。どうして、いつも『もしもの場合の保険』を探してしまうのか。矛盾しすぎていて嫌になる。


幸い、第二外国語として英語以外の語学を学ぶ機会が与えられた。選択肢は4つ。フランス語、ドイツ語、中国語そしてスペイン語。

私の語学選択基準はあまりにもいい加減だった。

水の中で話している様な篭った音がフランス語は好きじゃない。
ドイツ語は腹筋を鍛えられそうだけれど語調が強すぎる。
中国語は漢字が分かれば、とりあえず緊急事態はクリアできる。

運命とは不思議なもので、こうして消去法で残ったスペイン語が、私の人生を変えてしまったのだった。




その後も『潰しが利く人生大作戦』は続く。

今も昔も、器用貧乏という神様にしっかりと守られている私は、スポーツ以外は何をやっても”それなり”にこなしてしまう。もちろん、先に書いた体育会系でとことんやってしまう性格によるものも大きい。

お陰で、学校の成績も悪くはなく、多彩なアルバイトによる面接慣れもプラスし、就職活動期間一週間という早さで大手企業の内定を頂いてしまった。

「面接に来ていきなさい」と初めて母に買ってもらった麻素材のグレーのスーツは、結局、3回しか着ることはなかった。今となっては着ることもできない7号サイズ。あれほど潰しが利かなかったスーツはない。


絵に描いたような花のOL生活が始まった。労働組合や保障、給与、ボーナスだけでなく休暇も安定。後はお相手を見つけて玉の輿コースが目の前に広がっていた。

「よかったなぁ~!低い鼻が高々や!」

嬉しそうな顔の母親を見るたびに、親孝行をしたような気分に浸った。これで良かったのだと思った。親としては、あとは良いお相手を見つけて家庭を築いて幸せになってくれればと思うのは不思議でも悪いことでもない。

大丈夫。潰しは利く。

あとは用意されたコースをぬるま湯に浸かりながら進んでいきさえすればいい。必要の有無を問わず様々な資格も取得。未生流のお花だって生けられるようになった。あとは寿退社目指して一直線。


その、はずだった。

しかし、そうは問屋が卸さなかった。
いや、卸さなかったのは他の誰でもない自分だった。



私が配属されたのは営業部門の最前線。退職予定のある勤務暦15年の大ベテラン前任者の業務をそっくり受け継ぐというサバイバルがいきなり待ち受けていた。担当顧客は電気屋で名前を連ねる大手メーカーばかり。

(社会人ホヤホヤの小娘にそんなポジションを任せてもええのん?)

と自分の事ではなく会社の心配をしたのも束の間。すぐに、どういう地獄が待っているのか把握することになる。

連日の残業が始まる。前任者が居るうちに完璧に引き継がなくてはという焦る気持ちが、社会人生活を楽しもうという気持ちを打ち消した。働く理由など考えるのも忘れて仕事をした。持ち前の面倒くさい性格のせいで。

結果、新入社員の残業は好ましくないということで、就業時間後、私は透明人間と化した。

卒業後も続けていたスペイン語クラスも、社会人サークルも、やっと堂々と飲めるようになった社会人としての飲み会も、何をしても心が晴れはしなかった。上司と美味しくもないビールを楽しそうに飲む自分も嫌いになった。

そして、とうとうあの日がやってきた。

体力的にも精神的にも参ってしまっていたある日の晩、胃の中が急に焼けるように熱くなり、溶岩が逆流するような感じがしてトイレに駆け込む。便器の中には真っ赤な血が飛び散った。

胃が傷む。飲み込む唾液すら、怪我をした傷口に塩をぬるように熱く胃を引っ掻いていく。

ただ、何故か自分でも不思議なくらい冷静だった。本当は、この日が来るのを待っていたのかもしれない。

保険証、身の回りの物、単行本数冊、ウォークマンなどをバッグに詰め、母に、「ちょっと、血ぃ吐いてん。病院行くわ」と、まるで銭湯にでも行くかのようにサラリと告げたが、きっと血の気のない死んだ魚の目だったに違いない。

母に自分が体を病んでいるのを知られたくなかった。透明人間の方がマシだと思った。

検査の結果、病名は精神的ストレスによる「びらん性の急性胃潰瘍」。幸い、安静にしていたら数日後からは食事も出来るようになった。

母は私を元気付けようと、何だかよく分からないけれど、クリスマスのトナカイ柄のパジャマを買ってきたり、「かぼちゃの煮いたん」やら「おはぎ」やらを連日持ってきてくれた。ほうれん草のおひたしもあった。私の好物な食べ物ばっかり。食べられないのに……。


確か、入院休暇は20日程だったと思う。体調も良くなった後半は、心配した同僚が順にお見舞いに来てくれた。

吐血するまで必死で頑張ったのは、あともう一歩頑張れば仕事の流れもつかめる。仕事だって楽しくなる。絶対にそうなると信じていた。

それなのに、お見舞いに来てくれた人たちの顔を見ると、体を壊すまで仕事をした自分が愚かに思え、情けなく、恥ずかしかった。入院中、私の仕事を同じ課の人たちが手分けをして処理くれていると聞き申し訳なかった。そして言ってしまったのだ。

「ほんと、アホやろぉ~。晩ごはん、サーモンやってん。大きな骨があったのん、ちゃんと見ぃひんかって~ん」

同僚なら間違いなく一番に想像する過労による吐血、入院の理由を笑いで誤魔化そうとした。そんな私を「なんやそれ!」「この場に及んで、お笑いはもうええ!」とつっこんでくれた。良かった。ホッとした。救われた気がした。これでまた普通に職場に戻れると。

しかし復帰後、人事担当者から聞かされた内容に凍りついた。

直属の上司が提出した私の吐血および入院理由は「サーモンの骨」になっていた。

きっと、同期の誰かが私の近況を話してくれたのだと思う。悪気があったとは思えない。病院の診断書も提出したはずなので何がどうなったのかは分からないが、ただ私は、会社での表向き「サーモンの骨が刺さって吐血した女」となった。

体を壊してまでもやり遂げようとした仕事は、私が居なくても何事もなく回転していた。翌年には新入社員がもう一人同じ課に配属され、私は定時退社が出来るようになった。こうして、潰しが利くはずの私の会社生活は、自分を潰し、無意味なものになっていた。

そして、勤務4年目に入ろうとする頃、スペイン行きを決めた。




今思えば、私の人生の線路は、何度乗り換えてもスペインに向かっていた。別の進路に進んでいたら、大手企業に就職していなければ、サーモンの骨にズタズタにされていなければ、今もまだ『潰しの利く人生』を探し求めていたに違いない。

そして、今まで起こった全ての出来事が、今の私が存在するために一つとして欠けてはいけなかった出来事だと知っている。

スペインに来てから『潰しが利く人生』のために生きるなんて意味がなく、『潰されない人』になることの大切さを知った。

「仕事のために生きるなんて馬鹿げている。自分の人生を生きるために仕事をするんだよ」とスペイン人は言う。

先の事なんて誰にも分からない。もしかしたら、期待している先は行き止りかもしれない。そんな先のことを考えて生きていてどうなるのだろう。夢や目標を持つことを否定しているのではない。希望は一生持ち続けないといけない。

ただ、今を大切に生きたい。
ただ、自分と自分が愛する人たちのために。

お母さんへ

大丈夫、わかってるよ。
『潰しが利く人間になりや』と言ってくれた言葉どおり、
ちゃんと潰されない人になったからね。
何をしてでも生きていけるようになったからね。
しっかり守っていくものが出来たからね。


ありがとう。


※長文、最後までお読みいただき、ありがとうございました。



あきらとさんの「#同じテーマで書いてみよう」企画に勝手に参加してみました。事後報告でごめんなさい!


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