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【マテ貝の鉄板焼き】のオモイデ。父が問うた「幸せ」について

両親にとっては3度目のスペイン。次男も赤ちゃんから男の子になり、ようやく家族で出かけたりできるようになった頃だった。

あの日、夫の提案で、魚介料理を専門にする小さなお店で外食をすることになった。

そこは、地元の人しか知らない、間口が狭くて特に目立った看板もない貧相なお店。それなのに、一歩店に入ると、カウンター上の冷蔵ショーケースの中にキラキラ輝く新鮮な魚介類がゴッソリと並んでいる不思議な世界。

顔馴染みのカマレロ(ウェイター)が、ワイングラスを拭きながら、「オラ!」と口を大きく動かして、声にならない声で出迎えてくれる。

今日は、いつものザワザワした席ではない一番奥の予約席。VIP席という大げさなものではないけれど、仕切りをしてしまえば、『毎日開催大声コンテスト』のようなスペインバルの騒がしさが、ほんの少しだけど消音になった。

*****

本日の宴会幹事兼お財布係の夫が代表で料理をオーダーする。完全に自分の好みだとしか思えない料理を次々に連呼し、

「とりあえず、コレくらいで!」

と言うと、明らかに「とりあえず」にしては多すぎる品揃えの料理が、どんどん運ばれてきた。

「ムール貝のワイン蒸し」「シャンピニオンのアヒージョ」「もんごうイカの鉄板焼き」「タコのガリシア風」etc……。

これは記念写真を!
とゴソゴソカメラを出しているうちに、ムール貝が跡形もなく無くなっていた。チビたちも結構なスピードで食べている。負けてられん。

ワインはビノ・トゥルビオというガリシア産の白濁のある白ワイン。しっかり冷やして抜栓前に白濁を拡散させて飲む。

本来、透明度の高いワインほど良い評価を受ける中、何故かスペイン国内の殆どのガリシア料理の店に用意されている異端児。統制委員会で認可を受ける正統派であるかどうかは別として、これはこれで食文化の一端だと思っている。

このワインを、同じくガリシアで昔から使われているクンカという陶磁器の盃で楽しむ。日本の盃よりも大きめでズッシリと重い。

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「へぇ、スペインにも盃があるんやなぁ~、面白いなぁ~」

と嬉しげな父。
盃の淵スレスレまで注いで、オットットと啜りあげる。(それは、ちょっと違うやろ)と思ったけれど、嬉しそうなので放っておいた。

「私も今日は、ちょっと頂こうかなぁ~」

脇から両手でクンカを差し出す母に、ワインを注ぐ父。ついでに、飲み減ったワインを自分の盃に注ぎ足してまたオットット。

スペイン料理を前に、何やらケッタイな図柄。
二人とも、えらくご機嫌さんらしい。

あっという間に1本目のワインが無くなった頃、「マテ貝の鉄板焼き」が運ばれてきた。

大皿に沢山並んだマテ貝。火が通りすぎないように、ざっと焼いただけのマテ貝に、にんにくとパセリの鮮やかなグリーンのソースがたっぷりかかっている。

一つ口に運ぶ。
砂もきれいに抜けて、新鮮でコリコリとした歯ざわりと磯の香りがたまらない。船形になった下側の貝殻にマテ貝から出た旨みと緑のソースが溜まっているのを一滴残らず啜る。

両親たちと夫がいると、私は必然的に通訳担当となるのだけれど、美味しいものを食べている時だけは、両者から全くお呼びがかからない。ひたすら食べる、食べる。あぁ、楽チン。

「マテ貝って、男貝って言うんやってぇ。ふふふ」

珍しくワインまで飲んで、妙にハイテンションの母を横に、始終ご機嫌な父が、急に私を見てこう言った。

「ハルコ、幸せか?」

「へ……?」



父が私の名前を呼ぶことは子どもの頃からあまりなかった。我が家の場合、母が会話のクッション材で、大切な話は母を通して私に伝わり、母を通じて父に伝わる。入試のことも就職のことも父に直接相談したことはない。

会話がない訳ではない。父の場合、普段でも、「あのなぁ~」とか、「あんたなぁ~」とか、「それはそうとなぁ~」とか、適当に会話がはじまって、「まぁ、そういうことや!」と勝手に会話が終わる。

そんな父が、このタイミングでこの質問。反則だ。

咄嗟なことで、どう答えようか迷った。十代からずっと排卵不全で治療を続けていた私が3人も子宝を授かり、毎日が24時間なのを呪うほどの忙しさ。自由な時間など全くない。今の状態では社会復帰も無理に等しい。

必死だった。決して裕福な暮らしではないし、「幸せ」かどうかを即答することが正直なところ出来なかった。

決して不幸ではない。それは間違いない。でも、父の言うところの「幸せ」の重さがはかり知れなかった私はこう答えた。

「うん。楽しい。めっちゃ、楽しいわ!」


一瞬……。
父と私の時間だけが、ほんの一瞬、止まった。


「……そうか、楽しいかぁ~ それが、ええわなぁ~!」

父は、そう嬉しそうに言うと、また盃を手に取った。突然、始まった会話は、突然、終止符を打った。



私は父が待っていた返事をすることが出来たんやろか……。

胸を張って「幸せです!」って言ってほしかったんとちゃうか……。

「それが、ええわなぁ」なんて嘘とちゃうんか……。


いろんな想いが背中から首筋を逆流して頭の中でショートする。自分自身で答えの出ないまま、ちょうどタイミングよく運ばれてきた追加のワインボトルを、カマレロの手からもぎ取るようにして握った。

「お父さん、注いだるわ」

そう言いながら、ワインボトルを傾けたら、何故か、目の前が涙のカーテンで遮られて、盃にどこまでワインが入っているか分からなくなってしまった。

理由がなくても涙が出るのだと、この時、知った。

涙の粒が零れ落ちないように目を見開いたり、角度を変えてみたりしたけれど駄目だった。これ以上はもう無理だと思った瞬間、手元にあった紙ナプキンを床に落とし、テーブルの下に頭を突っ込んだ。

涙を見せたら、私の「楽しい」が嘘だと思われるような気がして嫌だった。

宴会の記憶は、ここでストップした。


*****

あれから15年程経つ。不思議なことだが、「マテ貝の鉄板焼き」を食べるたびにあの時を思い出す。

海外での結婚生活スタートし、いろんな壁にぶつかりながら25年が経った今、父は、「幸せ」の根っこが「毎日を楽しく生きること」にあることを知っていたのだと分かる。

次に「幸せか?」と聞かれたら、今なら「幸せやで!」と答えられるような気がする。

ちゃんと、「お父さん、ありがとう!」の気持ちも添えて……。


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