転勤族の子供だった私の話

完全なる個人的意見を述べる。子供にとって幼い頃の転勤、転校は毒だ。それも徐々にじわじわと効いてくるものである。

私は幼稚園を2校、小学校を3校と転々した子供だった。幼い頃はまだ転校というものを深く捉えたこともなかったし、ただ新しい環境に行くことにワクワクしたことを覚えている。しかし、時間を重ねて中学、高校になるにつれて転校というものはジワジワと私の悩みの種へと変化した。苦悩を生んだ。

こう言ってはなんだが、私は友達が多い方だと思う。もちろん人より多くの学校に通ったのだから当たり前なのだが、それにしても普通の人よりは多いと思う。なぜなら、友達を作らなければいけない状況にいたからである。小学生なんて子供と思うかもしれない、でも小学生には小学生の世界がある。そこに新しい者として踏み込む怖さを、想像できるだろうか。とてつもない怖さに襲われるが、それを覆す勢いで友達を作らなければ、その世界に一生入れなくなる。だから私は、とにかく誰にでも話しかけたし、とにかく誰とでも友達になった。私は友達が大好きだった。人が大好きだった。小学生の頃はそれでよかった。ただ、私は今その友達の存在に苦しめられている。

その友達が自分を忘れていく、から。

まあ考えてみてほしい、途中からフラっと入ってきて2年間遊んでまたどこかへ行った友達を貴方は覚えていられるだろうか。たぶん無理だろう。関わる人の多さの中で、きっと忘れられていく。

でも、その問いに対して私はこう言いたい。去る方は覚えているんだ、と。去る方は何とも言い切れない未練を抱えて去っていく。だから貴方を覚えている、と。それが私だ。自分がいたコミュニティは続く、自分を抜きにして。

私が小学生の時代、転校というのは生涯の別れすら意味していた。でも今、SNSによって探して見つけて、また繋がることができる。これがまた厄介な点である。

高校生になって、instagramで小学生の頃の友達を見つけた。友達申請を送った。フォローの許可はされたがフォローはされない。私は思った。ああ、覚えられていないんだ、って。

辛すぎた、号泣した。人から忘れられることがこんなにも苦しいんだと思った。つらかった。

「向こうに行っても手紙送るからね」

そう言われて交換していた手紙、返事が遅くなって、帰ってこなくなったのはいつだっただろう。

仲良く毎日遊んでいたあの子は私の下の名前を覚えているんだろうか。

きっと人間は、新しい人に出会うたび、古い記憶を忘れていくんだろう。その最前にいるのは私との記憶なのかもしれない。

じゃあその記憶は、どこにいくんだろう。私と小学生の時に過ごした思い出を誰が持っていてくれるのだろう。誰の記憶の中に私が存在するんだろう。小学生のあの私はどこで生きてたんだろう。

この辛すぎる苦しみをぶつける場所はもうどこにもない、大人になったからこそどこにもない。

そうやって人の記憶からいなくなる自分を、ただ消えていくのを少しずつ感じながら、これから出会うであろう新しい人の記憶に残るように精一杯生きていかなきゃいけない。




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