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病でも歓びを感じて生ききる。見送る。共にその後の人生を紡いでいく

癌が末期で見つかった…何十年もご一緒にお仕事を頑張ってきた女性に、拙著『心を澄まして』を2年前に手渡ししてくださったそうです。闘病の末…最期に逢いたい!と名指しされ、葬儀だけでなく、意識があるうちにも再会できた女性からご報告を頂きました。許可を頂けたので、ほぼそのまま掲載させていただきます。

「〇〇〇さんのお父様(88歳)に「この本は誰が〇〇〇に渡してくれたんかな?」と訊ねられ、少し緊張しながら「私です…」と答えたら、「この本のお陰で、〇〇〇は死を恐れずに最期まで歓びを感じて生きられた。最初はこの本をどんな気持ちで〇〇〇が読んでいたのかと思うと、読むのをためらった。しかし〇〇〇が亡くなって思い切って読んでみて、あー〇〇〇はこの本を読んでいたから、最期の最期まで歓びを感じて生きられたんだと思い、人の寿命は長さでなくて濃さだと、大往生したんだと思った。

この歳になって、こういう考え方に出会わせてもらえるとは思ってもいなかった。」とおっしゃってくださいました。それからはこの本がお父さんのお守りのように宝物になったようです。

お通夜の時には、入り口のご挨拶の時にも、この本を大事に車椅子のお膝にかかえて皆さんに挨拶されていて、私にも「よく〇〇〇を育ててやってくれた。ありがとう」と言ってくださり、お通夜最後の喪主のご挨拶の時にも、本を皆さんに向けて「この本に書いてあるように、〇〇〇は死を恐れずに、最期まで歓びを感じて大往生しました。」とご挨拶されました。

えいこさんがこの本を書いてくれたお陰で、死を迎える人も、残された人達も、共にその死を穏やかに受け止め、安心して旅立ち、安心して送り出せた事は、互いにどれほど尊い事でしょう。これから続く人生を亡くなった人と心穏やかに紡いでいけることは、本当に尊い事だと思います。

最期まで歓びを感じて光となった人は安心して皆を見守り、残された人達も亡くなった人が歓びを感じて生を全うしたという事実は、どれほど安心できる事でしょう。悲しみの中でのこの安らぎは、本当に救いだと思います。本を書いてくださって本当にありがとうございます。えいこさんの想いがこれからもたくさんの人に届きますように。」

実は、本をまだ執筆中だった頃の不安や葛藤と、その時に頂いた言葉をHPに書いて振り返っていたら、まさにその答えとなるようなご報告を昨日頂いて…嬉しくて涙がこぼれました。

あの世では過去も未来も見えて…同時にあるらしいのですが、本当に『時』というのは伸びたり縮んだりするし、過去とも未来とも『今』は共時性があるのかも!と、最近思います。

執筆当時の私は、目に見えない存在たちが生きている私達をどれほど愛しているか、その無償で無条件の愛について書かなければならないような気がして、とても自分には無理だと感じていたのです。でもある時ふと、私が愛を伝えなくては!と考えることは不遜なのですね?と気づいて伝えた時に

「愛が伝わるように書くとは、愛そのものを説明することではありません。ここにこうしてあなたを鼓舞し、いつも見護るわたしたちがいるように、誰にもそのような存在がいて、実は愛され続けているのです。それが伝わることがわたしたちの一番の願いです。

あなたに何ができるかではなく、それは万人(のたましい)に本来ある性質であり、そこへ還ってゆくことを伝えるのです。愛を込めて書き上げなさい。そこに愛があれば拡がっていきます。立派なものに仕上げることを目指すのではなく、旅立ちが迫っていること、大切な方を亡くすこと、あるいはもう亡くして、心細くて仕方がない方々を励ます想いで綴りなさい。」

そう言われて、拙いながらも何とか書き上げました。その後書籍化する前に、本を読まない自分では校正が客観的にできなくて困っていたら、それを快くIQが高い心友が引き受けてくれました。現実の難題にぶつかる度に、つい子供のように宇宙や神様にお願いすると、何故かその心友がいつも助けてくれて本当に不思議で有難いのです。

つまり実は無償で無条件に私を支えてくれる、彼女の真心や想いもこもった本なのです。表立った投稿などは一切しない方なので、嫌かなぁと思ってお名前など出しませんが、いつも心から感謝しています。きっとこの出会いも本当にお陰様なのだと思います。

『心を澄まして』

目に見えない存在と共に

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