【ネタバレあり】BANANAFISHの時代背景について、アニメで変更があったことに関する都合のいい妄想

【盛大にネタばれあり。原作を全て読んでいない人はご注意ください】




BANANAFISHはリアルタイムではなかったものの、まあまあ近いころに初読している中年の私。
アニメ版BANANAFISHを懐かしみながら観て、やっぱ名作だわ!と感動しているところ。

当時BLという言葉はなかったけど、今改めてみると、アッシュ・リンクスというキャラクターは、BLにとって、「ヴィジュアル系にとってのデビット・ボウイ」のような、「鳥にとっての始祖鳥」のような、そんな存在な気がする。

そんなわけで改めて原作を読み直してみた。
改めて読み返してみると、昔よりもっとあのラストには打ちひしがれるものがあった。

「アッシュ、最後死ななくてもよくね?」と。

当時のほうがあの最期に納得できた気がしている。
理由は明らかで、それまでの漫画は「同性愛的な関係に未来は無い」のが普通だったから(アッシュと英二は、恋愛関係未満ではあるけど)。
〇と〇の詩、〇出〇の王子、〇利と新〇などなど…。
〇トップ!〇ばりくんだって、あの中途半端なおわりかたが、きっと正しかったんだと思う。
けして特別に差別的な意識が、作者や読者にあったわけでなく、時代の雰囲気として「そういうもの」だという認識があったから、自ずと「悲劇的なラスト」に収束していたのだろう。
「同性愛関係のその先」を描くのがいたって普通になったのは、BLの現人神よしながふみ先生以降じゃないかと思う。

同性愛関係のハッピーエンドなBLに慣れている現在の自分にとっては、BANANAFISHのラストは余計にしんどい。

アニメ版BANANAFISHの舞台は、現代に置き換えられている。
ベトナム戦争とか共産主義叩きとか、半端に昔で若者にピンと来ないからとか、そんな理由なんだろうけど。
ニューヨーク州では同性婚が2011年に合法化されている。
同性愛関係のハッピーエンドが当たり前になった。
そんな現代を舞台にしたBANANAFISH。
原作よりほんのちょっとだけでいいから、アッシュと英二、二人の関係の「その先のハッピーな " if " 」が空想できるような、ラストにしてくれないかなぁ。

デビット・ボウイも亡くなるまでずっとカッコよかったし、69歳のアッシュも、凄くカッコいいと思うのだ。

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