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ダフト・パンクの終わりの始まり

ダフト・パンクが解散した。
どんなバンドでも終わりの瞬間はある(最近は「再結成」の瞬間も増えてきたが)。
ダフト・パンクの出会いはこの Da Funk のビデオだった。

覆面ユニットだということは後から知った気がする。(後に彼らが「50歳になってもDJをやり続けるために何が必要かを考えた結果、このマスクをつけることを考えた」とインタビューで読んで感動した。)単純にこのタイプのダンス・ミュージックと、とぼけたビデオの組み合わせがアーティストとして実に「何がやりたいか」明確だったことにシビレた。

その後、日本が誇る松本零士画伯とのコラボレーションで日本でも世界でもブレークした。この当時のアルバムからのヒット曲"One More Time"を初めて聞いたのは、アムステルダムのタクシーの中だったことを今でもよく覚えている。一発で彼らの新曲だということが分かった。フランス出身の彼らの新曲を初めて聴いたのが、ヨーロッパだったことが嬉しかった(それ以降、未だにヨーロッパを訪れる機会がない)。

話は Da Funk に戻る。自分が覚えていたのは、犬の被り物をした男がかつて知り合いだった女性に出くわすも、「犬禁止」の注意書きを見返したためにバスに乗れなかった、だったのだが、今日見返したらそれは「ラジオ持ち込み禁止」の注意書きだった。
なるほど、メイク・センスである。
好きな音楽と好きだった女の子の二択で、音楽を選んでしまった悲しい男(いや犬だった)の物語だったのである...。

多くの人が好きで選んで聴いてきたダフト・パンクの音楽。近年は彼らの憧れだった(ジョルジオ・モローダーやナイル・ロジャースといった)ディスコのオリジネイター達とのコラボレーション、さらにはファレルと組んだヒット曲まで飛び出したアルバムで話題を集めた。


しかしその時点で彼らはやりたいと思っていたことをやり尽くしたのではないだろうか。バンド名の「ダフト・パンク」は単なる「自分たちのやりたいことをやるためのモニカー(別名義)」だったはずで、彼らのモニカーはやがてキャラクターとしてそれ自体がアートとして認知されるようになった。その方法こそが、SNSが一般化した今、実に先進的だったことが改めてよく分かる。

本日、エピローグと題されたムービーをリリースした彼ら。1993-2021という、30年近くに及ぶ彼らの活動スパンを見て「そうだよね、それぐらいの長さだけ彼らの音楽が流れていたんだね」と妙に納得した。自分が同じ時代をリアルタイムで生きられたことに感謝したいアーティストだった。

そういえば自分が現在住んでいるロス・アンジェルスに引っ越してから、彼らのポップ・アップ・ミュージアムを訪問したことがある。そこで入手したロゴ入りキャップを思いだした。久しぶりに被ってみようと思う。マスクの代わりにはならないが、彼らはいつでもそこに居てくれたことを思い出すために、もう一度(One More Time)。

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