子宮に自民党/統一教会の悪魔がいると思っていた。アンフェで出生賛美の悪魔が内膜をガリガリと削る。反出生主義の話をした月は、生理痛が悪化する。そのような馬鹿げた陰謀論を信じそうになるほどの痛みだった。
どんなにラフに生きても毎月痛みはやってきて、その度に子宮のことを考えざるを得なくなる。しかしそれだけではなく、わたしは子宮に対してひとよりも多くの愛憎を抱いているような気がする。自分の詩のテーマにしたり、笹川真生さんの曲がすきだったり、バウマンに影響を受けて卒論を書いたりした。あるいは淫紋が描かれたポルノが好きとか、そういうくだらないことも入ってくるだろう。わたしにとって子宮はあこがれで、呪いだ。
日記を書いていた。毎日書くわけではなくて、書きたくなったときだけだ。そこから子宮について書いていた部分を引用する。
*1 ジグムント・バウマン『レトロトピア』
*2 在り処/ぼくのりりっくのぼうよみ(人はだれかに必要とされてはじめて人になれる、と聞きました そのときぼくは死にたいな、とおもいました)
*3 CITI/ぼくのりりっくのぼうよみ(生き急ぐ 死に急ぐ 切り刻む ありきたりな歌に消えてフェードアウト)
*4 天使界隈(女児みたいなみずいろの服)
*5 「君たちはどう生きるか」/スタジオジブリ
*6 『母性のディストピア』/宇野常寛
*7 滞る夜/笹川真生
*8 だれかのうみ/さまよって /笹川真生
*9 溺れ死ぬボーちゃんのモノマネ
*10 Geranium/picco(なんであたしばっかり!)
*11 日本の九月の気層です/笹川真生(Type-Cの脳が欲しい!)
*12 広末涼子の手紙(入ってくれてありがとう)
*13 ごめんねごめんね/きくお
わたしはどうしようもなく、子宮にもどりたかった。あこがれとも言うべき甘美さがあって、やり直したい、生まれたくないという弱さだ。生物的に、わたしはもう産む側である。でもインナーチャイルドはまだそこにいるし、産まれてくるきみを慮れるほど余裕がない。ときに自分が生まれてきた性別を呪ったりするが、それは本質ではないし無駄な争いを生むだけだからやめたいと思う。ただ自分が幼稚なばかりに、男だったらピュッってして女に全部やらせてたのになーと思ってしまうことを止められないときがある。これは自分の弱さに起因するevilだ。
日記を書いていたころから(いまもたまに書いているが)かなり反省した。でも根本的な考えが変わることはそうないような気がする。この強固な思想のせいで、社会にうまくとけこめない、役割を演じられない、うつを治せない、きみと結ばれることがかなわない。呪いが解ける日が来れば良いと思う、が、きっとこのままひとりで生きていくのだろう。