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夢幻の君とエゴのはざまで

 それは何気ない出会いだった。H暦元年の夏だったと思う。次に読む本が無くなった私は、いつもの書店でいつものようにSFの棚にいた。オーウェルやディック、伊藤計劃ら戦前作家の名作小説が新しい帯に包まれて陳列されていた。私はそれらを既に読みつくしていたので、新刊として平積みされていた見慣れない本を手に取る。いや、平積みと言うほどの量は積まれていなかったような気がする。2、3冊が立てかけてあった。

 裏表紙のあらすじを読み、軽くページを捲って会計したそれは、夢野幻太郎の当時の最新刊だった。


 家に帰って早速読み始めた私は、その本にまんまとのめり込んでしまった。新人賞をとった作家さんたちのアンソロジーはそこそこ読んでいたつもりだったが、まだこんなに引き込まれる作品を書く人がいたことに驚かされた。調べてみると、SFジャンルでの長編はこの一冊のみで、未収録の短編が少しあるものの基本的には様々なジャンルを書いているらしい。その後、彼の作品を求めて私は詩集から久しぶりのミステリー、慣れない青春群像劇までも読み漁った。正直肌に合わないものもあったが、どれを読んでもハッピーエンドの中でどこかに感じる空虚感が癖になった。私の好きな作家さんがひとり増えた瞬間だった。
 そうだ、私はある作品の著者近影を見て初めて彼の顔を知った。私はあまり作家さんの容姿に興味が無かった。それどころか作品のイメージと違ったら勝手に失望してしまうかもしれないと思って意図的に調べないようにしていたものだが、ある文庫から出ている彼の著作には最近の本には珍しく著者近影が載っていた。そして、知ってしまった。……彼、顔が良い。別に顔が良いからどうということでもないのだが、イメージ崩れたらいやだから……とか言って見ないようにしていた自分が馬鹿らしくなった。あと、こんなに素晴らしい文章が書けて尚且つ顔も良いなんて、と正直ちょっとムカついた。そして、私は顔を売りにしない職業の人の顔ファンが苦手なのでこのまま見つからないといいな、と思ってしまった。活躍は心から祈っていたにも関わらず。

 その後も新刊が出る度に読み続け、時にはブログに感想文も書いた。彼のSNSアカウントもフォローした。出版社の担当編集さんが私の感想文を拡散してくれて、夢野先生も見てくれてるのかなと淡い期待を抱いたりもした。あと、彼が面白い人だともわかった。突然訳の分からない嘘を真顔(文面)で放ってくるツイートにいちいちツボってしまった。たまにポッドキャストに上がるひとりラジオも欠かさず聴いた。メールを送る勇気は出なかったけど。いつの間にか、夢野作品だけではなく夢野幻太郎さん自身のファンにもなっていた。


 初めて彼の本を読んでから一年半後のことだ。動画サイト上にある映像が上がった。

 夢野さんがシブヤ代表“Fling Posse”としてディビジョンラップバトル(以下DRB)に参戦することが発表されたのだ。いや、このご時世だしラップくらいやってるだろうなとは思っていたけど。あんな小説や詩を書く人のリリックはさぞ綺麗だろうなとか勝手に妄想してはにこにこしていたけど。まさか代表に選ばれるほど上手いなんて思いもしなかった。私は元々ラップも好きだった。音源専門でバトルはあまり観なかったけど。夢野さんのラップが聴けることは素直に嬉しくて、それから私はFling Posseも追いかけることになった。

 ほかのメンバーはデザイナーとしても活躍するリーダーの飴村乱数さんと、ギャンブラーを名乗る有栖川帝統さんのふたりだ。どうやって出会ったのか本当にわからなかったが、本人たちのインタビューによると「乱数から誘われた」らしい。知らないうちに元TDDの飴村乱数とコネがあったのか。その辺は実際に仲が良さそうなメンバーたちを見ていたら割とどうでもよくなった。少し経って、曲のサンプルが公開されて、発売されて、私は彼らのラップを聴くことになった。

 ラップを聴く前の私は顔を見る前と同じような気持ちで、勝手なイメージを崩して勝手に失望してしまったらどうしよう……と思ってしまっていた。しかし、これまた顔を見たあとのデジャヴのように、いやもっと強い感情で、そんな不安は一瞬で晴れた。あの小説がそのままトラックに乗って、わたしのなかに入ってくるような。優しい語り口はあまりに解釈一致だった。
 次に、チームとしての曲が公開された。

 聴いた印象としては、飴村さんの色が強く出ているような気がした。お洒落なトラックに三人の軽快なフロウが乗っていて耳心地が良い。これは夢野さんの話をする記事なので、その話もしよう。私は彼のバースに本当に感動したのだ。しっかり韻を踏みながらも五七調で構成されたリリックは流麗で、ささやかながら華やかな近代詩のようだった。何よりも、飴村さんや帝統さんと楽しそうに歌う掛け合い部分が良い。SNS見て(この人も陰の者なんだろうな……)とか勝手に思って仲間意識持っててごめん。


 それからみるみるうちにDRBは大人気コンテンツになり、Fling Posseや夢野さんのファンもそれなりに増えた。読書メーターの著作ページには「DRBきっかけで読みました!」という感想が溢れていた。担当編集さんが私の感想を拡散してくれることもなくなった。自分の推しのファンが増えるというのは喜ばしいことだ。きっと収入も増えてるし。嬉しい。私もこのまま楽しく応援……できなかった。正直に言うと、顔ファン新規が憎かった。私もたった2年程度の新参でそこまで歴が長いわけじゃないのに。「顔が良い」と褒め称える言葉や本人に迷惑をかけるファン(笑)の存在が大量に流れてくるタイムラインを虚ろに眺めて、私はそのアカウントを消した。本当に辛かったのは、本人も自分の顔の良さを利用したグッズや雑誌の売り出し方を始めたことだ。いや良いんだけど。良いんだよ、自由にやって。振り落とされたのは私のほうだから。

 離れている間にも小説が出たら買って読んだし、Fling Posseの曲は聴いていた。センター街のゲリラ路上ライブ、映像で観たけど良かったね。ハロウィンのライブハウス復興ライブも良かった。雑誌のテキストから私の知る“夢野さん”の要素を見つけ出して喜んでいた。最悪のイキリ古参しぐさだ。古参でもなんでもないのに。1stバトルにも何だかんだ言って投票した。曲もライブも文句無しに良かったからだ。それでも自分がどこか冷めていて、穿った目線で彼らを見ていることには自覚的だった。バトルでポッセは負けてしまっていた。


 それからしばらく経って、前回のDRBの準決勝に進出した4チーム合同でのアルバムが出ることになった。ポッセの新曲も出るらしい。曲名は「Stella」。夢野さんの小説をもとにしてリリックを書いたそうだ。まあそれなりに楽しみで、配信された2時間後くらいに聴いたと思う。

 ……聴き終えて、筆舌に尽くし難い思いが込み上げてきた。正直、「最高!」「圧倒的!」のひと言で済ましてしまいたいと思った。それはSFで、詩だった。最初に夢野さんを知ったときの気持ちが蘇ってきた。元王様と盗賊とマッドサイエンティスト。綺麗なことばと韻律が現実の3人を控えめに、でも力強く投影するリリック。文芸の才能が最高のライマー、SFの抒情詩人だと思った。Like レイ・ブラッドベリ。リリックがわたしの脳裏をさらさらと流れていくような心地好い感覚。まるで砂時計(良いライミング)。そうだ、この人のこういうところが好きだったんだよな。Fling Posseに入って売り方が変わっても本質は変わっていないことに気づいた。夢野さんは夢野さん。そんな単純なことを見失っていた自分が愚かだと思った。これをきっかけに、私は再びポッセでの活動を熱心に追うようになった。余談だが、「Stella」は夢野さんの小説をもとに書いたというのに、その原作が未だに公開されていないことなら余裕で根に持っている。次の短編集にでも入れてください。

 DRBメンバーでのライブが開催されて、新しく白膠木簓率いるオオサカ・ディビジョンと波羅夷空却率いるナゴヤ・ディビジョンの参戦が発表された。そんなこともあって、DRBメンバーそれぞれのソロ曲が出る流れになった。夢野さんの曲は「蕚」。飴村さんの試聴が不穏だったこともあり、期待と不安が滲むなかでの試聴公開だった。安心安全もっと聴く♻️じゃね〜よ。もう運営のこと何も信頼できね〜よ。

 カウントダウンの爆音謎リラクゼーション音楽、刻々と変わる画面。3、2、1。――優しいハミングが鼓膜に注がれた。それは希望の長調だった。ポップに乗った文学だった。安心しすぎてちょっと泣いた。彼の小説はいつもハッピーエンドだった。確かに小説家でラッパーだった。あのリリックを書けて、あのトラックを選べる夢野幻太郎さんなんだ。ぱらぱらと紡がれる漢詩のように端正なことばが、舞い散る花弁みたいにFling Posseとそのファンを包んでいた。あとで聴いたフルも含めて、disをはじめとする攻撃的なワードが含まれていないのが嬉しかった。この曲が間接照明みたいに暖かくあたりを照らし出していた。

 その後、夢野さんはあまり表に姿を見せなくなった。小説が出ない時期はほかの作家さんでもまああるものだが、それにしても出なかった。DRBがない時期とはいえ、Fling Posseの活動も減っていた。飴村さんは普通に活動していたものの様子がおかしいという噂が囁かれていたし、ポッセ以外での活動はあまりしていない帝統さんでさえ明らかに目撃情報が減っていた。何か事件に巻き込まれたりしていないか、体調がすぐれないのかと心配になった。しかし、たまに思い出したようにTwitterにしょうもない嘘が投下されるので大丈夫だろうな〜というふわふわした感覚のまま毎日を過ごしていた。

 そしてついに2ndDRBの開催が発表された。ポッセも参加するそうだ。久しぶりのポッセでの活動に胸が踊った。一説によると元々出場する予定はなかったものの、急遽出場が決定したらしい。あくまで噂なので真実はしれないが。


 バトルまでの間に、夢野さんについて考えていた。それがこの記事を書こうと思ったきっかけでもある。小説から出会ったこと。気づいたらアイドル的な人気を誇るラッパーになっていたこと。夢野さんから距離を置いたこと。作品で引き戻されたこと。結局私は、じぶんの中に勝手に作り上げた“夢野幻太郎”像を崩すことがいやだったんだと思う。顔を見たくなかったころからずっと。下らなくてこの上なく失礼だ。そうやって縛り付けようとするのは、きっとファンじゃない。迷惑をかけるファン(笑)は私のほうだった。私は直接本人に伝えるタイプではなかったけど、これを伝えていたらただの説教ババアに成り果てていた。踏みとどまれていて本当に良かった。
 ポッセに出会ってからの夢野さんは楽しそうだった。そうじゃなければ確実に蕚なんか生まれてなかったと思う。Stellaをきっかけに新しい夢野さんをまた好きになれて良かった。変わらない根の本質と移り変わる見え方を全部引っ括めて楽しめる。仮に夢野さんが“夢野幻太郎”というペンネームを外してしまっても、緩く穏やかに追っていける自信がついた(ペンネームという前提で書いてしまったが、もし本名だったらどうしよう……)。
 バトルは物凄い熱気だった。絆の強さが違うんだよ!!!! いつも軽やかなポッセが必死で思いをぶつける様に心奪われた。Fling Posse、絶対に勝ってほしいな。そして、新しい音源曲「Black Journey」がパフォーマンスで解禁された。

お前がお前じゃない? 知らねえ
俺はお前しか知らねえ

 これは帝統さんが飴村さんに向かって放ったリリックだが、勝手にハッとさせられてしまった。かつて見えない鎖に繋がれてたのは私のほうだったから。どうしたって夢野さんは夢野さんなわけで、どこにだって行くなら止めないでおくべきだろう。もっとも、いちファンに何か干渉できることがあるわけではないのだが。
 今のFling Posseを目一杯ぶつけられて、私はとても爽やかな気持ちで彼らを応援している。Fling Posse、絶対に勝ってほしいな(2回目)。この先どうなるかはわからないけど、色とりどりでフレキシブルに変化していくFling Posseと夢野さんを見届けていくのが楽しみだ。きっとその先で、流れた水がそっと光る。

 ま、全部嘘なんだけどね。

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