アイマスは麻酔なのか?
極論するなら、そんなのは接する人次第である、という話なのだが、これは私から見たアイマスの話である
「麻酔コンテンツ」と「覚醒コンテンツ」
これは漫画家の山田玲司さんが、『山田玲司のヤングサンデー』においてしばしば話題にするコンテンツの二分法である
第19回 26:06 辺りからが初出のはずだが、玲司さんのことばから簡単な定義を拾っておくと
麻酔コンテンツとは
「苦しい毎日からの逃避のために、都合のいい作品」
覚醒コンテンツとは
「世界の見方を変えて、自分を変えてしまってくれる作品」
である
玲司さんも述べているように、覚醒が良くて麻酔が悪い、という話ではない
麻酔が必要な時と場合というものはある
しかし同じように目覚めるべき時が来る
それは出会いのタイミングにもよる
「世界には2種類の人間がいる」タイプの言い方は、「あえて言うなら」程度に思っておかないと、誤解を招きやすいのが玉に瑕である
世界にあるものを2つに分けられるわけがないのだが、わかりやすくするためにあえて使う分には有用と思う
ただこの二分法が万能でないのは、コンテンツの側で完全にコントロールされている、つまり触れる人誰もが同じように受け取ることができる、ということが現実にはあり得ないからである
あるいは見せかけは麻酔コンテンツでも、最後まで見ると覚醒コンテンツだった、という仕掛けをもっているような作品もある
コンテンツの側でなく、コンテンツに触れる人の側から考える方法もあるかもしれない
つまり、人はコンテンツに自分の思い通りであってほしいのか、あるいはコンテンツの側に欲求を預けるのか、というスタンスの問題として扱うわけである
コンテンツに欲求を預けた上で何かハッとする体験があれば、覚醒的と言ってもよいだろう
まあこれはこれで触れる側の上から目線っぽくなってしまう感じはある
やはり玲司さんの言うように、こちらのスタンスに関係なく「目覚まし」になるようなものが、覚醒コンテンツなんだろう
前置きはこの辺で、アイマスについて考えてみたい
「夢」はどちらに
アイマスに触れている自分について考えることは、プロデューサーとは何なのか、と考えることでもある
簡単には、自分はアイドルにどうあってほしいのか、という話である
アイドルに麻酔的であってほしいか、それとも覚醒的であってほしいか
麻酔的というのは、自分にとって都合のよい夢の存在であってほしい、ということだとする
逆に覚醒的とは、アイドル自身が夢を見る存在であってほしい、ということだとする
夢がこちら側にあるか、あちら側にあるか
アイマスの場合でいえば、この観点に集約されるように思う
そもそもコンテンツとしての『アイドルマスター』は判別が難しい
ギャルゲーというか恋愛ゲームの文脈にも十分位置づけられるし、現実の消費のされ方は多分に麻酔的であったりする
アイマスがもっている要素から考えるには、「春香TrueEND」から始めるのがいいだろう
「春香TrueEND」問題
私とアイマスとの出会いは、いわゆる「ニコマス」を通してであった
最近では話題になることも少ないと思うが、初期ニコマスにおける「春香TrueEND」は、天海春香というアイドルの受け取られ方に密接に関わっていた
これがバッドエンドなのか、ハッピーエンドなのか
どちらに感じるかが、アイマスというコンテンツに対する印象すら大きく左右することは間違いない
だからこの問題は、たまには蒸し返してもよいと思うのだ
私は恥ずかしながらゲーム未プレイ組だが、これを見てハッピーエンドだと感じた故に、アイマスに触れはじめたのである
ハッピーエンドは言い過ぎかもしれないが、納得の首肯エンドぐらいには思っている
アイドルと恋愛関係なりプライベートな関係をもつことは、麻酔的欲求の最たるものだろう
この場合は春香の方から言ってきているのだが、春香の告白に同意することは「アイドルとP」という関係の終わりを意味する
それはPとしては選べないはずの選択であり、実際選ばなかった
そのおかげで「アイドルとP」という関係は終わらなかったのである
理想論が過ぎるという意見はあると思うが、フィクションで理想を追求せずにどこで追求するのか
アイドルであることは春香の夢なのである
春香の夢を守ることはPの仕事の内なのだ
「春香TrueEND」をアイマス側からのメッセージと受け取るなら、アイマスは夢をあちら側に置くコンテンツである、と言ってもよいだろう
美城常務とP
「春香TrueEND」のメッセージは、アイマス全体の通奏低音のように、脈々と流れているものでもあると思う
そのことがよくわかるのは、シンデレラガールズのアニメにおける、美城常務とPの対比である
かのポエム合戦もそうだが、美城常務という自分の夢を実現したい人と、Pというアイドルたちの夢を実現したい人の対比は、わかりやすく描かれていた
ただ美城常務は会社という組織の夢を代表している人なので、個人的なわがままを言っている人ではないのは確かである
思い返せば黒井社長もそうだが、自分側に夢がある人たちは、アイドルたちを自分色に染めることがプロデュースなのである
961プロやプロジェクトクローネを見れば、それはそれでいいのは間違いないのだが、アイマスではそれらはどこか歪みを抱えたプロデュースとして描かれてきた
対して主人公として描かれるPは、アイドルたちの夢を大事にする
ともすれば黒井社長や美城常務の方が有能に見えるのは、P側はいつも正解を探しながらプロデュースするしかないからである
いろいろと後手後手にならざるを得ないし、根気がいるプロデュース方針である
麻酔的欲求に答えることは悪である、とまでは描かれていないが、やはりPのやり方は正しいと感じるし、アイマスらしいと感じる
声優
アイマスの通奏低音はコンテンツの外にも流れ出ているのかもしれない、と思う時がある
正確な時期についてはわからないが、ネット上でアイマスの声優陣が、趣味に特化した冠番組を次々もつようになり、これまでそれがきちんと成立してきている
それぞれの好きなことで冠番組ができてきちんと成り立つというのは、冷静に考えるとすごいことである
人によっては立派な自己実現になっている
アイマス声優に限定して語る話でもないが、私の見てきた限りアイマス声優を中心に起きた現象に見える
まるでアイマスの世界みたいだ、とたまに思うのだ
ここまでひとりの人間を大事にできる状況は、逆にリアルアイドルの世界では少ないようであるし、テレビの世界でも成り立ちにくいだろう
ラジオ文化やネット文化の流れの中で、アイドルであってアイドルでない人たちがそれを為し得ているのは、まったくの偶然でもないように見える
平熱コンテンツ
実は最近の玲司さんの話の中には、「平熱コンテンツ」というのも出てくる
麻酔のようにローでもなく覚醒のようにハイでもない、平熱のようなコンテンツを指すらしい
私がアイマスと出会って10年以上たつが、基本的に興味を失うことなく付き合い続けている
自分でも不思議なのだが、どうやら平熱コンテンツという言い方はしっくりくる
私はアイマスにものすごく期待をしていて、新しいことが待ち遠しい、というわけでもないのだ
アイマスで一喜一憂することはあまりなく、自分の手の届く範囲で楽しませてもらっている、という感じである
たぶん自分の中で、アイマスに麻酔的に触れたり覚醒的に触れたり、ということを繰り返しているうちに、振れ幅が小さくなって落ち着いたんだろうと思うが、長く付き合っているからこそこうなった、とも言えるだろう
まあとにかく、私はアイマスがある世界に生きられてうれしい
ネテロ会長風に言うなら、私がたどり着いた結果は、感謝である
正拳突きの代わりに何をしたらいいのか、悩んでいるのだが
以上、読了多謝
私にとってはアイマスであった、という話です