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人生の折り返しを過ぎたからこそ、新しい世界に飛び込んでみた。

人生の折り返しはとっくにすぎている。
残りの時間を考えるようになったのは、年齢ももちろん関係あるけどコロナの影響も大きい。

自分の力ではどうにもならないこと、想像だにしなかったことがこの先も起きるのかもしれない。だったら、やってみたいと思っていることをそのままにしておくのは、あとで後悔しそうだ、そんなふうに強く思った。

今日は、私が声の仕事をしようと思ったきっかけについて書こうと思う。


自分の声は好きじゃなかった。どちらかというと声に対してコンプレックスを持っていた。音が高めでキンキンしていて、聞いている人は頭が痛くならないだろうかと思うこともあった。

自分では好きになれない声だったけれども、褒めてくれる人もいた。

中学のとき、仲良くしている友達の一人にピアノ弾きのMちゃんと呼ばれている子がいた。

彼女は学年で一番ピアノを弾くのが上手くて、成績も優秀、スポーツもできて、字もお手本みたいにきれいという人だった。ピアノが上手なので、合唱コンクールや式典などの学校行事ではいつもピアノを弾き、華々しい活躍をしていて、先生たちからも頼りにされている生徒だった。

中学の卒業が間近にせまったある日、卒業式でもやはりピアノを弾くMちゃんが言った。
「卒業式で、3年間の思い出の写真をスライドにしてナレーションをつけて流すんだって!美和をナレーション担当に推薦しておいたから。美和の声はかわいいからね」

驚きと恥ずかしさとちょっとしたうれしさもこみ上げてきたが、私でいいのか?とも思った。でも先生方からの信頼が厚いピアノ弾きのMちゃんの推薦は通ってしまい、録音する日がきてしまった。

マイクを通した自分の声を聞くのは嫌だった。けれども、文章を読み上げるのは楽しかった。3年間の思い出の写真がどんどん映し出され、それに合わせてナレーションを入れていく。

最初は緊張していたが、放送部の生徒や先生、それにMちゃんもサポートしてくれて、私の声の調子も熱を帯びていった。途中のセリフのところは、気持ちを入れ過ぎたようで音量が急にあがってしまい、「もう少し抑えて!」と言われるぐらいに私は夢中になっていた。

卒業式当日、スライド上映が始まった。私は声を担当したことを恥ずかしくて、クラスの誰にも言っていなかった。スピーカーから聞こえる自分の声はやっぱり高くて、恥ずかしくて、早く終わってほしいと思いながら下を向いていた。

声に気づいた周りのクラスメイトが少しざわついた。隣に座っている子
が肘でつつき、これって美和?と聞いてきた。私は、下を向いたままうんうんと頷いた。心臓が口から出てきそうだった。

顔が真っ赤になるほど恥ずかしかったけれども、いい思い出になった。これがきっかけで、声のコンプレックスがなくなったわけでも、声の仕事をしたいと思ったわけでもない。ただ、ただ録音中は楽しかった、その思いがずっと温かく心に残った。


2020年4月緊急事態宣言が出され、日本語学校の授業はすべてオンラインになった。それまで、zoomなんて使ったこともなかった。GoogleドライブだのGoogleクラスルームだの、はじめての用語、操作方法についていくのに必死だった。

オンライン授業の初日は途中で操作方法がわからなくなり、大失敗してしまった。悔しくて眠れないほどだった。

だから、オンラインで開かれる勉強会には積極的に参加した。授業に役立ちそうなものならとにかく何でも吸収しようと思った。

オンライン授業にもすっかり慣れたころ、掛け持ちで授業をしている日本語学校のほうから、勉強会の一部分でよいので講師をしてくれないかと依頼が入った。お世話になっている先生からの頼みに断れず、引き受けることになった。

当日の勉強会のアンケートに、声が聞き取りやすくてわかりやすかったとの感想がちらほらあった。

実は、それまでに参加した勉強会でも、小グループに分かれて話し合いをしたり、活動をしたりする際にも声がいいですねとお褒めの言葉をいただいたことがあった。

オンライン授業をやるにあたり、パソコンの内臓マイクではなく、ヘッドセットを(当時は品薄で買うのが大変だった)どうにか買えたのがよかったのかもしれない。口元にあるマイクが音声をちゃんと拾ってくれるから、聞きやすいのだと思った。でも、正直なところ、褒められて嬉しい気持ちもあった。

嫌いだった自分の声だけれども、もしかしてマイクを通すとよくなるのだろうか?褒められて、ちょっと調子に乗る自分がいた。

中学の卒業式のことも思い出した。式のあと、クラスメイトからよかったよと言ってもらえた。

声で何かを伝えるっていいなと思えた。

でも、どうやって?

時々、調べるようになった。「声の仕事」「ナレーション」などと検索してみた。出てくるのは声優についての情報が多かった。

ある日、LINEに「宅録ナレーター講座」という名前のアイコンが出ていることに気が付いた。「宅録」と言う言葉に興味をひかれ、おそるおそる内容を見てみた。宅録に必要な機材の揃え方から、仕事の受注先まで教えてくれるらしいことがわかった。

まずは、1週間無料で準備講座として毎日情報を発信してくれるとのことで私は早速申し込みをした。

日本語学校の授業が終わってから、LINEを開くのが日課になった。
帰りの電車の中で夢中で読んだ。乗り過ごしたこともあるくらい講座の内容は、私の心を鷲づかみにした。

1週間後、無料の講座は終わった。そこで終わることもできた。でも、やってみようと思った。その先の講座も受講して新しい世界を見てみようと思った。そうしなければ、きっとあとで私は後悔する。あの時やっておけばよかったと。

いい歳して何やってんだろうって思われるかもしれない。笑われるかもしれない。でも、もう止められない。どきどきわくわくの毎日が始まった。

おわり











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