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—— 「B面」の想像力。

人にはいろいろあるのが当たり前で、
長きに渡って生きてきたのであれば、ない方がおかしい。

日々の身の上話をするときは、
常に自分の主体的な体験や経験が中心になるのは自然なことだし、

相手のある過去の話をするときには、その相手の気持ちなんかは一定の想像の範囲内の理解でしかない。

ストーリーは常にB面がある、
“There is always another side to the story”


という言い回しがある。

物事には二面性があって、
当事者同士の視点は複数ある、というのは大人になった私たちには常識的な考え方。

だから、人の話を聞きながら常に頭のどこかに浮かんでいるのは
「B面」の真相が別にどこかに存在している、ということ。

これが、大人ってもんだと思う。よ。笑。

誰が味方になってくれるとか、

そういうんじゃなくて

事実として、物事には多面性があるということ。

それを全て考慮した上で、どちらがいい、悪いなんてフェアに判断がつくはずがない。神様だって公平じゃないんだから。

No one is perfect, and no person can be fair enough to the other person or the rest of the world.

ただ事実として、平行線上をいくだけ。

だって、人間だもの。

想像力はあるけれど、全て主観的に生きてるから。

それを、「自分の人生を生きる」というのだと思う。

味方の数を増やしたいわけでもなく、

理解してもらいたいわけでもなくて、

ただ単に主体的な体験ストーリーが続いていくだけ。

ただ、それだけのこと。

It is just what it is.

だから、いちいち自分の体験に解釈も要らないぐらい。

ただ、必要なのは、

常に「B面」が存在しているという事実に気がついておくだけ。

そのストーリーのB面が気になる人は、
B面(語る当人にとってはA面)をかけてくれる所に行って聞いたらいいだけ。

誰も「A面とB面の両方をいっぺんにかけてくれ」という期待なんかするはずないんだから(と思いたい、笑)


ただ、それだけのこと。

That’s life.

📸 私の陰:@Andy Warhole Kyoto展の体験型インスタレーションにて@京セラ美術館