『感覚と理性の時代』

最近何も書いてないなと思い今考えていることを書いてみる。

音楽教育を長年やっているが、音楽を聞いている生徒が本当に少ない。
特にクラシックや古いジャズ、古いロックを聞いていない。
視覚から音楽を取り込むことが多く、YouTubeやステージ、ミュージカルと表面的な形に心奪われている。
そこには音楽の本質も五線譜もなく、共感性のみである。

音楽から人間の歴史的なマインド、情景の質量、運動性、整数を感じ、死との苦しみ、生物としての循環性を見出す作業がない。
マインド、ハート、ソウルを体内で感じ、覚醒させ表現するカントレに程遠い。
左脳と右脳の葛藤、生物的な欲との葛藤を爆発させ、音楽を見つけ出す行程もない。
若いアーティストが言っている音楽は降って湧いた、降りてきたものではなく、緊張しているものから衝撃を与えて音を見つけるものである、それもとびっきりな幸福を。
分母が全く違うので、いつまでたっても井の中の蛙。

とにかく聞く、聴く、感じる。
眼を閉じ、音楽に深心し没入する。
音楽の精神性こそ、これからの時代の必須、デザインだ。

もし、これが失われていくとしたら恐ろしい世の中になる。
いやもう進んでる。
音楽教育こそが。。。



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