天才でも秀才でもないこと 補足&余談

構成とか全無視で

なまむぎ ~闇に降り立った凡才~

凡人が『社会』という地獄で「しれっと」存在し続けるには、中々の犠牲が伴うものです。

元より裕福な家庭でもなかったので、本来は中学卒業と同時に社会人になる予定でした。
(高校の学費は難しいという家族会議)

中卒の称号は流石に厳しいと思い、
中学三年生の拙い能力を駆使して、父親の職業である『電気工事士』に成りたいと数か月に渡って語り。
だから電気関連の県立工業高校に行かせてくれ、というロジック展開。

関連の書籍や工具は家にいくらでもあったので、事前に本職と語れる程度の知識を浅く広く習得し、実務の技術でもスイッチとコンセントの増設くらいは出来る様にして、周囲の親類や父の会社の社長などにアプローチし。

結果、なんとか最低限の成績で『高卒』の称号と、逃げるための『上京』に必要な知識と技術を得て、地元を脱出しました。
逃げるための努力って凄い()

こんな感じの社会人スタートなので、それはもう灰色で。

元よりやりたい仕事でもなく。
完全無欠な体育会系の世界にも馴染めず。

建築系の方々ならわかるでしょうけれど。
電気設備系は、建設現場ではヒエラルキーで言ったら最下層なのです。

スラブ打ってる中にこそこそと侵入し、床の鉄筋二層の間に電線の配管(P管)を通したり。
壁側にスイッチボックス設置したり。

たまに鉄筋を縛ってる針金なんて踏んでちぎったりすると、屈強なスラブ屋さんがマジ切れで追いかけてきて工具でメットを殴ってきたり、休憩中には囲まれて暗い打ちっぱなしの部屋に連れていかれて、

「しにてぇのか?」
とか言ってきたり。大人が。

上司に報告したら「で、勝ったのか?」とか言ってくるし。

施工も変更に次ぐ変更で、当たり前の様に徹夜3連続とかで書き直させられてもう。

ブラックやホワイトなどという言葉もない時代で、早朝から工事現場、夕方から深夜まで施工図を描き、寮で入浴と洗濯で3時間睡眠。
こんな生活が毎日続き、2か月で30キロ近く減りました。
(全ての服がぶかぶか)

理由は、刻は、バブルが崩壊して何年も経っていない頃だったのです。

現場の他業者らも、社員の皆も、この状態を『普通』として捉えていました。
目もうつろだったり、突然泣いたり怒ったり、ふと目を離すといなくなったり。
最もコミュニケーション能力が高く慕われていた事業部長は、社用車で排気ガス自殺したり。

ひょっとしたら『鬱』や『躁鬱』という言葉すら誰も知らない頃なので、自覚がなかっただけで大勢いたのかもしれません。

そんな生活を続けて2年の月日が経ち。
ある意味での『転機』の一つ目が訪れました。

年末も押し迫る12月中旬、会社が業績悪化で縮小(若手全員が会社都合で解雇)
それと同時に、インターネットとWindowsの登場。

無職で迎える絶望のクリスマスと成人式はとても眩しくて、逆に良く憶えています(それはもう恨みつらみの目で見ていまして。えへへ)
続々と寮を出ていく同僚らをしり目に、ダメ人間の私は退去期限が過ぎても寮にいました。
理由の多くはFF7がまだクリア出来ていなかったからですが()

当時のPCのOSの主流は「MS-DOS」でしたが、徐々に「DOS/V」が浸透し、Windowsが95、98、2000と進歩していたのです。
通信とかIT技術を知れば、旨い汁が吸えるかも。

新技術の到来は、これまでの既得権益者を脅かし、同じスタートラインに立てますからね。
メットでハゲる前にと、強電の世界を後にして、弱電の世界へ飛び込みました。

ビルや施設のメンテナンスサービスマンに。
(ローカル作業ではまたメット被ることに……)

まあなんというか、楽でした。
中央監視装置のメンテとか、遠隔の自動制御システムの改修とか。
空調系の温度センサーのニッケル抵抗値508.4Ωや、その通信の4~20mAとか。
でも氷蓄熱デマンドが下火になり、プロジェクトチームが解散して、燃え尽きてしまったので自主退社へ。
(色々が色々でしたが!)

その後、アルバイトでモバイルのコンテンツ制作会社に入り。
『転機』の二つ目で師匠たちと出会い、某グループに所属して、コンサルタント会社を創立して同期らと競い合い。
突然グループもその会社も無くなり、連絡も途絶え、いきなり後ろ盾のない借金漬けの会社持ち状態で始まって、今に至るのです。

多くの戦友が出来て、消えていきました。

売上の全額を時計や車に使って、税金のことを知らずに「国に騙された!」とか言ってたバカもいたり(コンサルタント名乗ってた……
「凄い案考えた!」って言って出してくるプランの全てが法に触れる奴もいました(当時の法〇政やばい
お客様に「ふぁっ〇きん!」連呼するハーバード卒とか、営業に出るとなぜか必ず拉致監禁される後輩などなど()

監禁されて帰ってこない社員を夜21時過ぎに迎えにいくということで、社員や関係者全員集めて乗り込んだり。
(運悪く私が最年長だったりして、後ろの方にいたのに交渉の矢面に立たされたり……渋谷のフロント企業さん怖い)

その後、暑中や年賀は、ほぼ届かず戻ってきました。
繋がってるのは「今日からなまむぎさんの敵です!」って嬉々として報告してくる〇〇な子たちばかりで()

ライバルは『過去の自分』である。
とか、登壇の際に言ったりしますけどね。
まだ一度も、過去の自分に勝てたことがありません。

だってあいつ、何も知らないのに兎に角特攻するんですよ、犠牲も考えずに。
しかもヒロイック症候群の気まであるから、超えてはいけないところまで経験しに行っちゃう。
やっかいな過去野郎です。

いつか、出し抜いてやります。
という、自白。

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