物事を客観視すること

物事を客観視すること。

これはとても大切。物事(自分自身も含めて)を客観視することができればわが人生のQoLを高めることができると思う。

人間というのは、当たり前の話ですが、自分の目の前の物事に集中してしまうと、周りが見えなくなります。(短期集中型の人は特にこの傾向が強い)

私は強い集中力は無いのですが、こだわり症なので、よく周りが見えなくなります。(2つのことを同時に考えられない)

だから、物事を効率的にこなすのが苦手だし、例えば仕事では自分に求められる役割や与えられた使命が、分からなくなることが多々あります。

これらの問題の原因は、物事を客観的に見る思考が欠けているからです。

今私が書いているこの記事も客観性が低いと、皆さんが読みやすく・興味を引く記事は書けません。

物事を客観的に見ることができるということは、物事の傾向を分析し、抽象化・パターン化できるということです。(言語化できる、とも言えます)

要するに、抽象化ができれば、周りの人とも考え方を共有することができるので、物事を滞りなく進めるのに適しています。私も含めて、多くの人は、「物事を客観視できない」・「抽象化できない」ことが原因で、仕事仲間と意思疎通が上手くいかなかったり、顧客の要求を正確に理解できなかったり、自社が顧客に対しておこなう提案が相手に上手く伝わらなかったり、ということが起きます。

人間誰しも私利私欲を持っていて、それ自体は人間の根本的な欲求のため、否定はしませんが、仕事や家庭などの集団行動が求められる際は、「物事を客観的に見れない」と、集団での物事が上手く進められないのではないかと思います。

具体例を挙げるといくらでも出てきそうな気がしますが、まずは仕事において言うと、自分のやり方や自分の価値観にこだわり過ぎてしまうとNGということです。

仕事をやってきた年数が長いと誰しも今まで自分がやってきたやり方(技術や手法)で繰り返し仕事をおこなおうとするのが自然ですが、自分がやりたいやり方にこだわり過ぎると、スケールが小さく、極端な言い方をしてしまえば陳腐な品質の仕事になってしまいます。

これについては、長年やってきた自分の仕事の品質が"陳腐"というわけではなく、チーム全体でアイデアをブラッシュアップさせる場合と、自分一人で長時間に渡って考えたアイデアの質は根本的に違うということを意味します。

私は最近気づいたのですが、私たちが一人ひとり持つ能力というのは普通・普遍といったものは何一つなく、私たち一人ひとりの能力は躍動したり、収縮したりして、生きています。そのため、同じ人間がおこなった仕事でも、その人間の気分やテンションによって、生み出された作業の質は異なるのではないか、ということです。

そして、仕事の品質(またはアイデア)について、私が最近気づいたことは、仕事の品質にも"鮮度"があるということです。同じような仕事内容でも、若手が熱量を込めておこなった仕事とベテランが肩の力を抜いた状態で生み出した仕事には、微妙に差が出ます。そして、その微細な差というは違いが分かるユーザーには確実に伝達するものと思います。

一般的にベテランの仕事は、ある一定の品質が担保されているし、この考え方は間違いではありません。ただユーザーは一定の品質を一度・二度と繰り返し使う内に、たとえ高品質な商品であったとしても、"これは素晴らしい品質だ"といった感動は薄れていくものです。

それに比べて、ベテランと同程度もしくはそれ以下の品質だが、若手が異常な熱量を込めて生み出した商品については、数値化・可視化できる品質とは別に、ユーザーに感動を与える何かが上乗せされているのです。

この何かというものは、スポーツの業界では"ゾーン"といったりするので、詳しくは割愛しますが、物事に集中する際に、生まれるゾーン現象というものです。このゾーン現象の時に、生み出される品質というものは、理詰めで考えられた思考を、はるかに凌ぐ品質を持つことがあります。

話が逸れたため、元に戻します。

結論から言うと、「物事を客観視する」「自分一人だけの思考の枠だけで考えない」ということは、上記のような若手だけ・ベテランだけの思考に偏らないアイデアの出し方・仕事の進め方の方が、より高い品質のものを生み出せるのではないか、という仮説です。

また仕事以外にも家庭での物事の進め方にも大きな影響を及ぼします。(前半部分では仕事について説明しましたが、この家庭の部分も非常に重要な内容です)

また話が逸れますが、私は一度結婚をしており、その後離婚をしています。

結婚生活や離婚後の独身生活を省みた時に、あの行動には、こういう意味があったんだなということが多々あります。

この記事を読まれている方で、結婚をしていなくても彼氏 or 彼女といったパートナーがいる方は多くいると思います。

このパートナーとの接し方についても、自分の今までの成功パターンに固執するばかりに、自分の価値観や考え方を相手に押し付けて失敗したことが多々ありませんか?

私はこのパターンが多く、パートナーとの意見の食い違いや、自分の考え方に固執するばかりに、相手が求めていることが分からないことが多々ありました。

ここでも最近ふと気づいたのですが、この"自分の考え方に固執しない"というのは、"自分を卑下したり、過度に自分を否定して、相手を持ち上げる"という意味ではありません。

昔までは、私は相手を尊重すること=自分の意見を押し殺す・抑圧することと思っていました。でも、この考え方は間違っていました。

自分の価値観・考え方は否定しなくてもいいんです。むしろ自分を押さえつけることは精神衛生上してはいけません。

自分を抑圧することなく、相手に対して「そういう考え方もあるよね」と理解を示す心構えを持ち、行動することで、相手との共同作業は少しずつ好転しはじめます。

話が遠回りになりましたが、この家庭内においても、「物事を客観視する」(相手の考え方も客観視する)ことで、自分の意見と相手の意見の合致している内容や違う考え方についても整理することができ、"自分と周りの人間って同じ家族やパートナーで合っても考え方は違うんだな"また、"考え方は違っていてもいいんだな"ということが認められると思います。

このように「物事を客観視する」ことは、仕事においても家庭内(プライベート)においても、有益であると思います。

これはあくまで個人的見解なのですが、「仕事仲間と上手くいかない」「彼氏or彼女、パートナーとのコミュニケーションが上手く行かない」といった場合に、有効な一つの手段だと思いますので、その機会に直面した場合、「物事を客観的に見る」という考え方を試していただければと思います。

長文・駄文失礼いたしました。以上です。

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