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【映画】JOKER感想(※注意ネタバレ含みます※)

※注意※

この感想記事はネタバレを多く含みます。ネタバレを読んでも構わない or この映画を見る予定が無いため、ネタバレ問題無しの方のみこの続きをご覧ください。また個人ユーザーの感想のため、私の個人的主観を多く含みますので、私の感想と全く異なる感想を持たれる方も多くいると思います。上記内容をご理解の上、ご覧ください。

では書きます。

まず主人公アーサー・フレックです。彼は要介護が必要な母親と二人暮らしをしています。アーサーが住むゴッサムシティは治安が悪く、路上の至るところでホームレスが居座っているような場所です。(私は渋谷の街によく出掛けていましたが、駅前のホームレスが駅前だけでなく、至るところにいるイメージです)

アーサーの職業は、大道芸人です。(物語の冒頭部分では、コメディアンでは無い)大道芸人として日々の仕事を全うしていますが、些細なことから仲間の裏切りに遭います。

ちなみにこの裏切りについては、なぜ起こったかについてはあまり言及されておらず、単に仕事仲間も素行が悪くこの街で働く者としては、必然的に度々起こる仕事上のトラブルの一つなのかもしれません。

この裏切り行為で、アーサーが手に入れることになるのが、拳銃。この拳銃というのもアメリカらしいところで、無学な私でも知っている通り、アメリカは銃社会ですよね。アーサーのような貧困層にも簡単に銃が手に入る環境にいるというのが、とてもとても恐ろしい環境だなと思いました。

少し時系列が前後するかもしれませんが、アーサーが乗り込んだゴッサムシティ地下鉄の電車内のシーン。ここでいかにも中流階級そうなアメリカ人3人組が、若い女性に悪絡みをするシーンです。(酒に酔った勢いで、相手の意思と関係なく話したり、ちょっかいを出す)このシーンも示唆的というか、頭は良いが性格が捻じ曲がっている人間と、読書をしている聡明そうな女性という際立ったキャラクターが役付けされています。

ここでアーサーは拳銃を使い、若手エリートサラリーマンを撃ち殺してしまします。(ここは物語冒頭の見所のため、詳細割愛します。是非映画を実際に見て、なぜアーサーが人を殺めるに至ったのかの心理の推移を見てみてください)

その後、トーマス・ウエインという議員(知事だか市議会議員だかの役職は覚えていません。議員的な何かだったと思います)とアーサーの関係性が明らかになるのですが、ここもこの映画の見所の一つのため、詳細は是非ご自身で映画を見て物語を味わってください。

なお物語終盤でアーサーとトーマスは、ホテル内(オペラのような劇場だったかも)で、アーサーが建物に潜入した後、対面することになります。個人的には、このシーンは辛く、鬼気迫っていて、胸が締め付けられる思いでした。詳細は割愛しますが、アーサーの今までの人生と自身の存在意義をトーマスへ糾弾するものでした。(アーサーの想いとしては、自身の存在意義を問う、今まで自分が生きていた人生の総本山といっても過言ではない出来事なのです。自分はなぜ生まれたのか、なぜ生きているのか。)

アーサーの期待とは裏腹に、トーマスに拒絶されたことにより、アーサーは失意となり、自分に不遇をする敵を、一人の人間だけでなく、グループ・社会全体などに憎悪の対象を増大させていきます。(この部分が非常に怖い。人間の基本的な尊厳というものが踏みにじられた時、真っ当な人間であっても容易に悪に染まってしまう可能性があることを、この映画は示唆していると思います)

そして、アーサーと母親が二人きりの病室のシーン。(なぜ病室にいるかという事などについては、重要な内容のため割愛します)

ここでアーサーはまた大きな過ちを犯します。(もうここまでいくと、自分で自分を制御できないんだろうな……ととても悲しくなりました。辛いシーンです)

そして物語は最後のシーンへ。アーサーは、とある理由から人気TVショーのコメディアン紹介コーナーに呼ばれることになります。(これも示唆的で、アメリカで最も有名で、夜7時台のような最も権威ある有名なTV番組という位置づけなのでしょう。この番組に出ることはアメリカ人の夢のような位置づけ。)

物語の随所で、登場するこのTV番組の司会者はロバート・デ・ニーロ演じるフランクリンです。このフランクリンはとても頭の良い人で、且つ真っ当な道徳観・倫理観を持ち合わせているという印象です。

本来なら出会うことの無い貧困層のアーサーと、アメリカンドリームを勝ち取って番組の司会者に君臨しているフランクリン。この二人が対面します。

この映画において、このTV番組のシーンはとても重要な位置づけです。アーサーの考える理想の人生は、このTV番組に集約されていると言っても過言ではない。(重要な理由として、アーサーの母親はこの番組の大ファンです)

何もかも上手くいかない男に突きつけられる過酷な現実。(実際のところは分かりませんが、おそらくアーサーがこの番組に無名のコメディアンにも関わらず出演できたのは、フランクリンが才能を見込んだわけではなく、フランクリンがアーサーを笑い者にするために呼んだ、要はかませ犬、とアーサーは一方的に思っていました。)

アーサーは最初の内はコメディアンとして淡々と振舞っていますが、しばらくすると自分に対する苛立ちや、フランクリンという輝いた人間への憎悪、アーサーから見た自分の周りにある歪んだ社会への憎悪を爆発させます。(ここも人間の恐ろしさを表すという意味で怖いシーンです)

アーサーはまた、非情な行動を取ったわけですが、アーサーが起こした殺人という異常行動は、富裕層と貧困層の問題まで発展し、ゴッサムシティの市民の多くが暴徒化します。

最終的にアーサーはピエロの暴徒の教祖のような存在で奉られるわけですが、このシーンも性格的には母の介護をするような心優しい人間が、悪の権化のような存在に豹変してしまうという、怖いシーンでした。(人間の暴走はそう簡単には止められないということです…)

最後のシーンは、アーサーが殺人の罪で捕まり刑務所へ収監され、精神科医のような人から、尋問を受けるシーン。

一つ一つの言葉は覚えていませんが、アーサー個人の考えとしては、「自分が取った行動は、合理的であり何の後悔も無い」といった印象を受けました。(アーサーが話す時の表情が清清しい様子だった)

この刑務所(精神病棟かもしれない)の尋問シーンでジエンドとなるわけですが、この映画とにかくアーサーが受けた理不尽や、辛い生い立ちと、優しい人間が悪に染まってしまう過程が理には適ってしまっている点が、論理展開的には、納得できる箇所もあり、非常に怖いなと思いました。(人生をめちゃくちゃにされた人間が、誰しも良いように更生できるとは限らないという意味です)

一言で言ってしまえば、反面教師にすべき映画ですが、非常に重たいというか見るに耐えないシーンも多かったな…といった印象です。

しかしながら、私の映画鑑賞人生の中では、見て良かった内に入る映画であり、自分とは何か。悪とは何かについて、考える貴重な機会に恵まれた気がします。

長くなりましたが、以上感想です。駄文のため、読みづらいところが多々あったと思います。すいません。

駄文ですが、この記事を読んで、JOKERという映画に少しでも興味を持ってくれたら嬉しいです。衝撃的な内容であることは間違いありません。また正義とは悪とは、人間の尊厳とは何かを考える機会が得られることは間違いありません。深く深く自分自身に問いかけてくれる映画では、あると思います。

ご清聴ありがとうございました。


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