世の中の人は基本藤原基央ではない。

こんばんは。今日もサボらずに書けそうです。

俺はBUMP大好きなんやけど、そのボーカルの藤原基央はアダチルの味方みたいな歌詞を書きます。自分自身に価値を認めることができてない人の気持ちを汲み取るのがうまいんかな。引用とかめんどくさいからここにはのせへんけど。(おい

今の今までずっと、俺もそうやって人のことをわかってあげられるようにしようと生きてきた。うまくできてへん気するけど。
でもしんどいだけでした。

自分は他人にさほど理解されへんのに、人のことばっかわかってあげようとしてもどんどん自分が死んでいく。

他のBUMP好きの人はどうなのか知りませんが、少なくとも俺は藤原基央に依存していました。
藤原基央っていう自分に価値があると思わせてくれる人が自分の中のベースになっていて、他人が理解してくれなかったり認めてくれなかったりすると藤原基央の音楽に戻ってきてしまう。彼の音楽はアダチルに優しいので。

でもフツーは他人に理解してもらえなくて当たり前やった。認めてもらえんくて当たり前やった。だから自分で自分の価値を認めれてへんとしんどい。

アダチルについて書いてる沢瀬直太朗さんの本読んで周りの人は藤原基央じゃないことに気づいてBUMPの音楽の聴き方も変わった。

今までは、「自分は理解されへんから1人でやるしかない。」って他人との関わりを避けるための言い訳として聴いてた感あるけど、「自分の価値は自分で認めて、他人は理解してくれへんけど、それでも他人と関わろう」っていう肯定的な聴き方ができるよーなった。

サンキュー直太朗。そしてこれからもよろしくBUMP。

きょーも1投稿できてラッキー!

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