HISTORY

本日3月10日は、ヴィジュアル系シーンとは切っても切れない存在のベーシスト、KISAKI氏の誕生日。おめでとうございます。
ヴィジュアルシーンを見ている者として祝わずにはいられず、そして自分自身でもヴィジュアル系の歴史を振り返る意味でも、今日はKISAKI氏というアーティストのバンド経歴について振り返りたいと思います。




LUNA SEAがメジャーデビューを果たしたり、黒夢がインディーズで絶大な人気を誇っていた頃である1992年、SCARE CROWというバンドのスタッフとして音楽シーンに携わり始めたKISAKI氏。
当時は”ヴィジュアル系”という言葉はなく、ポジパンやグラムロック、ハードロックと呼ばれるジャンルから次第にメイクをしてステージに立つアーティストを”お化粧系”と呼び始めた時代。
その後1993年9月、彼はLeviaというバンドを結成した。
初ライブから解散までわずか7ヶ月という活動期間にも関わらず5本のワンマンライブを決行するほど、注目度の高かったLevia。
1993年といえばL’Arc-en-Cielが初のアルバム「DUNE」のリリースや短命バンドの象徴とも言えるユニット、BODYが活動していた時期だ。

その後結成したバンド、LAYBIALでは初の東京進出も果たす。
だがわずか3ヶ月でLAYBIALを脱退、間髪入れずにSHEY≠DEというバンドを結成。
SHEY≠DEも1994年11月をもって解散。そして同時期にサポートを務めていたゴシックバンド、GARDENに12月をもって加入となる。
約半年の活動ののち、彼はGARDENを脱退。脱退ライブが過去最高動員をマークするというなんとも皮肉な結果を残した。


その翌年、1995年。Justy-NastyやGilles de Rais、DIE IN CRIES等のヴィジュアルシーンの功労者が次々と解散する一方、SOPHIAやSIAM SHADE等その後のブームを牽引するバンドがメジャーデビューを果たしたこの年に、KISAKI氏はStella Mariaというバンドに加入。
加入2本目のライブでワンマンライブをこなすなど、この時点でKISAKI氏の実績は大きく評価されていたことが伺える。
KISAKI氏在籍時の唯一のデモテープ「Tabularasa」は限定300本のうち、約4分の1の確率でシークレットトラックが封入、という仕様。
ヴィジュアル系の音源への購買意欲を高める手法は、彼が在籍していたこの時期に確率されたといっても過言ではない。

KISAKI氏はStella Mariaの活動と並行し、後に共にバンドを結成するVo.京氏らと共にセッションバンド「廃人黒薔薇族」での活動を行なっており、セッションバンドながら出演イベントはすべてがソールドアウト、ゲリラライブには約1,000人の観客が集まるなど、こちらも大きな話題を集めていた。
その活動に手応えを感じたKISAKI氏は更に未来の展望を見据え、同年12月30日のライブをもってStella Mariaを脱退、あの伝説のバンドの結成へと向かう。(Stella Maria自体は1999年まで活動)

ここからはバンド毎に歴史を振り返りたいと思う。


【La:Sadie’s】(1996~1997)

彼の存在を一気に全国区へ知らしめたバンドといえばこのバンドに他ならないだろう。
KISAKI以外のメンバーは現在DIR EN GREYで活動している京、Die、KAORU、Shinyaと世界的進行形レジェンドバンドである。
その活動期間は約1年と決して長くはないが、数多くの伝説を残したバンドである。
その伝説のいくつかをここに記したい。


◆チケット争奪戦

バンドの規模を表す指標の一つとして挙げられる、チケットの売れ行き。
規定枚数が事前にすべて売り切れる“ソールドアウト”はバンドの憧れの一つであり、目標でもある。
La:Sadie’sはその知名度や期待度から、ワンマン及び対バンイベントでもソールドアウトが相次ぎ、ライブが見たくても見られないという現象が発生した。


◆音源リリースにまつわる戦法

La:Sadie’s以前にこういった販売形態をとるバンドは例を見なかった「カップリング曲の異なるデモテープの複数タイプ同時リリース」や、
発売した音源が即完売のためリミックス+αを収録したいわゆる2ndプレスをリリースなど、現在のヴィジュアル系では常套手段となっている音源のリリース方法をいち早く打ち出したのも、彼の戦略。
ファンの心理をついた的確な戦法を、誰よりも先に取り入れたバンドだった。


◆メモリアルアイテムのリリース

そんな戦略と音楽が見せる攻撃性で、ものすごい勢いで走っていたLa:Sadie’sだったが、翌年1997年1月、大阪a.m.HALLでのワンマンライブをもって解散。
解散後の2月にはバンドの歴史を綴ったヒストリーブック「…結末…」、そしてラストシングル「Lu:Ciel」をリリースと、バンドとしての形をなくしてもなおファンのために足跡を残すという心意気を見せてくれた。
現在ではいずれも入手困難で、中古市場では驚くほどの高値がつけられている。




【MIRAGE】(1997~2000)

間髪入れず同月、KISAKI氏はMIRAGEを結成。
これまでの経歴から分かるように、KISAKI氏はバンド解散から次のバンド結成もしくは加入までのスパンが他のアーティストに比べて短い。
活動中にも次の活動への構想を練りつつ即行動に移していく戦略的なその動きは、ただ音楽をやるだけでなく、音楽を通じて生きていくには必要不可欠なこと。
このMIRAGEでも彼はその戦略の緻密さから、多くの伝説を残した。


◆ZONE集中TOUR

バンドが活動拠点を出てツアーに回る際、通常であれば東京・大阪・名古屋の大都市から、仙台・福岡・新潟等の地方都市、そして札幌・広島・神戸等、それ以外の主要都市へと範囲を広げていくのが主な戦略である。
しかしMIRAGEは違った。
日本を大きく4つのブロックに分け、時期によってその地方を集中的に攻めるツアーを展開したのだ。
「SECTION:2 虚像と十物語の神話」では大阪、和歌山、京都、枚方、三重、奈良、姫路等の関西の主要都市を、
「SECTION:4 虚像と八物語の神話」では東京、浦和、前橋、熊谷、池袋、町田、千葉と首都圏近郊のライブハウスを、
「SECTION:5 虚像と五物語の神話」では神戸、岡山、高知、徳島、松山と中四国を集中的に攻めることによって、話題性と地方に住むファンへのアピールを余すところなく見せつけた。


◆音源の購買意欲を誘う手法

前述のブロック集中ツアーと同時期に、MIRAGEは初のCD音源をリリース。
それも1枚でなく、3ヶ月連続リリースという手法でのリリース形態をとった。
「Silhouette」「Syndrome」「Genesis…」の3枚のシングルはジャケットデザインも統一し、どれか1枚ではなく3枚とも手にしたくなる仕様だ。
また、「幻想の告白」と題したSEをシングル及びアルバムのオープニングトラックとして収録する、今のヴィジュアル系では珍しくもなくなった音源を1枚の物語として組み上げる手法も、先駆者のうちの1人として彼の名があげられる。


◆大胆なメンバーチェンジ

MIRAGEにはボーカリストが2人存在する。
結成から約1年半を務めたTOMO氏、そして1998年から解散までを務めたAKIRA氏だ。
メロディアスさが前面に押し出された第一期、ダークな雰囲気を醸しつつもメロディアスさは根底に残した第二期と、まったく別物にも同じバンドにも捉えられる音楽性を見せたMIRAGE。
一つのバンドでも様々な展開を見せるバンドの運営方法も、MIRAGE及びKISAKI氏が得意とする手法の一つだ。



またMIRAGEの活動と並行し、KISAKI氏は自身初のレーベルである「Matina」を1997年11月に発足。そしてメジャーリリースも行う。
以降2002年までレーベルは続き、数多くのバンドを輩出した。
GOTCHAROCKA、MERRY、ダウト、Dといえば今の若いヴィジュアル系ファンたちもピンと来るだろうか。今をときめくバンドのメンバーも、かつてMatinaに所属していた過去があったりするのだ。
また、MatinaはMIRAGE及びKISAKI氏同様関西を中心に展開していたレーベルだったが、実は関西だけでなく、レーベルとしては異例の他地方に支部を展開するほどの勢いっぷり。
東京支部として総勢15バンドが所属していたEternal、北海道支部として4バンドが所属していたSTORMも同時に展開し、文字通り全国区でその勢いを見せつけた。ヴィジュアル系レーベルとしては未だにこの規模を越える展開は見受けられない。
年間100本を越えるライブや積極的な音源リリースを続けながらも、レーベル代表としての役目も務める、まさにヴィジュアルシーンの功労者といえる彼の活躍っぷり。これも未だに彼ほどの活動を担う者は、だいぶ長くなったヴィジュアル系シーンにも存在しない。


MIRAGEは現在、第1期・第2期の主要楽曲を網羅したベストアルバム「BEST COLLECTION 1997~2000」を発売中。
彼の、そして90年代ヴィジュアル系の歴史を辿る上で必要不可欠な1枚、是非お手元に。
【BEST COLLECTION 1997~2000/MIRAGE】
https://www.amazon.co.jp/BEST-COLLECTION-1997~2000-MIRAGE/dp/B00172R4M2




【Syndrome】(2000~2002)

MIRAGE解散後、またしても間髪入れずに結成されたのがこのSyndromeである。
Matinaにて別のバンドで活動していたメンバー、そして若手ボーカリスト龍夜氏、ギタリストken氏を迎え結成されたSyndromeは、またしてもKISAKI氏の戦略によりわずか1年半の活動でデモテープ4本、シングル6枚、ミニアルバム1枚(配布音源は除く)とかなりのリリースペースを誇る。
楽曲の攻撃性は更に上がり、ダークなヴィジュアル系といえばKISAKI氏、そしてSyndromeというイメージを世間に植え付けることに成功した。



◆活動に先駆けたCDの無料配布

初ライブを目前にした2000年3月1日、全国のヴィジュアル系インディーズショップにてシングル「兎と羊」を無料配布。
デモテープの無料配布やライブ会場での入場特典としてのCDを無料配布というのはそれまでにも例はあったが、プレスされたCDをしかも本格始動前に大胆にも無料で配布するという前代未聞の試み。
今でこそインターネットでお手軽に音楽が聴ける時代、CDの店頭での無料配布も珍しくなくなってきたが、当時は斬新な切り込みで大きな話題を呼んだ。
またCDをドロップ後の初ライブがシークレットながら渋谷ON AIR WEST(現在の渋谷TSUTAYA O-WEST)という大きな会場、そして始動からわずか2ヶ月の間に東名阪仙台はおろか金沢や岡山、愛媛、山形に至るまで全国を回るツアーを決行(うち4本はワンマンライブ。大阪でのワンマンライブは大混乱の末中断となる反響っぷり!)。始動にあたって練られた緻密な策略が、Syndromeが短期間でインディーズシーンのトップに躍り出た大きな要因と言えよう。


◆メンバー脱退~第二章へ

2001年6月のライブをもってVo.龍夜氏、Gt.Ken氏が脱退。以降新メンバーを迎え第二章にて活動を再開するまで、わずか半月の出来事である。
目まぐるしく移り変わるヴィジュアル系シーンにおいて、沈黙は衰退とも取れる行為。Syndromeの持っていた勢いをそのまま殺すことなく、第二章へ繋げるためには、KISAKI氏の策略通りに動くことが必要不可欠だったのだろう。
また、この期間に第一章~第二章を通してのメンバーであったGt.Ruiza氏、Dr.紫音氏両名のソロCDをリリース。一時もファンを飽きさせないための策の一つと言える。
Vo.にex.JE*REVIENSの浅葱氏、Gt.にex.VasallaのSIN氏を迎えた第二章はON AIR OSAKAでの主催イベントより華々しく幕を開けた。


◆イベントツアー連発、そして大会場での単独公演へ

Syndrome第二章は既に多くの固定ファンがいながらも、約9ヶ月もの間、ワンマンライブを開催せず、イベント出演に留まった。
主催イベントや2マンライブ等にてその実力を他バンドのファンにも堂々と見せつけ、満を持して開催されたワンマンライブの会場は2002年4月、CLUB CITTA’川崎というキャパ1,300人という大きな舞台。
そしてその4ヶ月後、8月31日にはKISAKI氏のバンド人生の中でも初となるホールワンマンを日本青年館にて開催する。
以降、活動停止~解散まで、怒涛の勢いでシーンを駆け抜けた。


MIRAGEの時もそうだったが、第一章、第二章を通じてほとんど同じ楽曲の演奏はなされなかった。
(確認できるだけで第一章、第二章を通じて演奏されていた曲はわずか4曲のみ)
そんなSyndromeというバンドの楽曲は、耽美かつ暗く激しく、ダークな世界観に満ち溢れたものばかりで、活動停止から15年以上も経った今聴いても色褪せることなく、また、所謂”コテ”バンドのスピリットを持った後世のバンドの楽曲のお手本にもなるような、正にヴィジュアル系を象徴するような楽曲が多い。
SyndromeもMIRAGE同様、第一章、第二章を2枚に分け収録したベストアルバムがリリース中。
通販限定音源やデモテープのみでのリリースだった楽曲等も網羅した、まさに本当の意味でのベストアルバム。今聴いてもまったく古さを感じさせないクオリティーの楽曲揃いだ。
【BEST COLLECTION 2000~2002/Syndrome】
https://www.amazon.co.jp/BEST-COLLECTION-2000~2002-Syndrome/dp/B00172R4MC



【KISAKI PROJECT】(2003~)

2002年11月をもって解散となったSyndrome、そして同年12月31日、Matinaも解体。
シーンに大きな功績を残したバンドの解散、そしてレーベルの解体は、多くファンに衝撃を与えた。
だが、衝撃を受けたのはファンだけではない。彼を慕い、彼の想いに賛同するバンドマン達もまた、彼の活動が停止してしまうのを防ぐべく後押しをした。
Matinaから彼の元で活動していたヴィドール、そして後に彼の元にて活動することになる結成前の12012のメンバー達等、多くの人間が彼を求めた。その熱意が、新レーベル「UNDER CODE PRODUCTION」の設立へと至ったのだ。2003年3月の出来事である。
そして同時期に立ち上げられたのが、彼のソロプロジェクトであるKISAKI PROJECTだ。


◆これまでとは異なる音楽性

MIRAGEやSyndromeで見せたような、激しく暗くシャウト等が多かったそれまでの音楽とは違い、バラードやスローなテンポ、ストリングスを効果的に生かした美しい楽曲がメインとなったKISAKI PROJECT。
ボーカリストに迎えたのは前述の彼の意志に賛同したバンド、ヴィドールでボーカリストを務めていた樹威氏だった。
彼の高い歌唱力も相まって、激しさが売りのヴィジュアル系シーンでは異例とも言える人気を博す。もっとも、冒頭で「これまでとは異なる」とは書いたが、彼の持ちうる、また、これまでの経験の中で培った耽美さや繊細さを追求したサウンドが顕著になったものがこのKISAKI PROJECTであり、彼の持つ感性の幅の広さを見せつける結果ともなった。


◆ヴィジュアル系初の海外進出

インディーズのプロジェクトバンドとしては初となる、フランスでのワンマンライブを決行。
海外からも熱い注目を浴びていた日本のヴィジュアル系。中でもこれだけの功績を残したKISAKI氏の活動とあれば、海の向こうといえど熱狂的なファンが放っておくわけはなかった。
その声に答えるように2003年5月、フランスはパリ、Divan du Mondeという会場にて、KISAKI PROJECT初の海外ワンマンライブが開催される。
もともとヴィジュアル系は欧州で発生した耽美さや力強さを起源とした、海外のロックサウンドが礎の一つ。その発端とも言えるフランスにて支持を得たことは、ある種彼の生み出す音楽が世界へ通用する”本物”と認められたような出来事だった。
以降、KISAKI PROJECTはRENTRER EN SOIの砂月氏やMoranのHitomi氏等、名の知れたボーカリストを迎え断続的に活動を続けていくこととなる。



樹威氏がボーカルを務めたKISAKI PROJECT feat.樹威の楽曲は、このベストアルバム「永遠の夢~for Lovers…~」で網羅。
流線型を描くような旋律とサウンドは、ヴィジュアル系ファンだけでない、美しい音楽を好む者にも胸を張ってお勧めできる楽曲ばかりだ。
【BEST ALBUM「永遠の夢~for Lovers…~」/KISAKI PROJECT feat樹威】
https://www.amazon.co.jp/ALBUM「永遠の夢~-Lovers…~」-KISAKI-PROJECT-feat-樹威/dp/B001IZGGR2




【Phantasmagoria】(2004~2007)

2004年11月。UNDER CODE PRODUCTIONに所属していたHISKAREA、そしてマーディレイラというバンドのメンバーと共に結成されたPhantasmagoriaは、これまでの彼の英知を集結した策と楽曲を持って、ヴィジュアルシーンに殴り込みをかけた。


◆音源の戦略的なリリース

Syndromeの時にもあった例だが、Phantasmagoriaの始動にあたり名刺代わりとなる音源「Material pain」を製作。それをヴィジュアル系専門ショップや初ライブの会場ではなく、なんとヴィジュアル系専門音楽情報誌「SHOXX」の付録として世に放ったのだ。
元々彼らを知る者やそれ以外の者の手元にも行き渡り、Phantasmagoriaという名前を一躍全国区へ知らしめる結果となった。
その後も別の音楽情報誌「FOOL’S MATE」の誌上にて通販限定CDをリリースしたり、KISAKI PROJECTを始めとした活動で得た海外ファンに向け、アメリカ限定流通のベストアルバム「Splendor of Sanctuary」をリリースしたりと、その戦略は多岐にわたる。


◆「神歌」の記録的な大ヒット

Phantasmagoriaといえば、と言われてこの楽曲を思い浮かべる人が大半であろう。
数多くの人気曲を生み出したPhantasmagoriaだが、この「神歌」という楽曲は、中でも彼らをよく知らない人間でさえも一度は耳にしたことのあるほどの知名度を得た。
それは敢えてワンマンライブを開催せず、対バンライブへ次々と出演、そしてライブの最初もしくは最後に必ず「神歌」を演奏し、多くの人々の耳と目に強烈なインパクトを残すというある種サブリミナル的なものだった。
その戦略が功を奏し、決して大袈裟ではなく「ヴィジュアル系シーンでは知らない者はいない曲」という、驚異的な地位を獲得した。
2000年代のヴィジュアル系シーンを象徴する楽曲とも言えよう。


◆メジャーデビュー決定からの決断

渋谷AX、日本青年館、中之島中央公会堂と1,000人を越える大規模の会場で次々とワンマンライブを成功させたPhantasmagoria。名実共にヴィジュアルシーンのトップに躍り出た彼らを、日本の音楽シーンが放っておくはずはなかった。そう、メジャーデビューの誘いである。
これだけの実力を持ったバンドならメジャーシーンでもきっと通用する…誰もがそう思った矢先に舞い込んできた、Gt.伊織氏、Dr.纏氏の脱退。「この5人でなければデビューする意味がない」というKISAKI氏の意志により、メジャーデビューの計画を白紙にするという決断を下す。
奇しくも、メジャーデビューの楽曲として選ばれていたのは前述の「神歌」だった。この曲が日本中のお茶の間に流れる日が来たかも知れない、という”if”は、未だに空想してしまう。
そんな様々なステージを経てKISAKI氏が選んだ道は、”引退”だった。
2007年8月31日、大阪国際交流センターでのワンマンライブ「-KISAKI&Phantasmagoria LAST STAGE-ECLIPSE of MYTH-」をもって、彼のバンド人生の中で最も華々しく、最も派手で、最もシーンへ深い爪痕を残したPhantasmagoriaというバンドは、多くの人に惜しまれながらその幕を下ろした。


◆ラストライブ~限定復活~封印

表舞台を退いたKISAKI氏は以降、UNDER CODE PRODUCTIONの運営、そして所属バンドのプロデュースに専念することとなる。
Arc、Megaromania、Dali、NEGA、SIVA、hurts、平成維新、シンディケイト、REALies、ClearVeil等、現在も形を変え姿を変えヴィジュアル系シーンにて活動するメンバーが在籍したバンドがその功績を残せたのは、彼のプロデュースの賜物であると断言できよう。
また同時期に数多くのバンドやアーティストの活動も手がけている。ざっと思いつくだけでも以下の通りだ。

◼︎UNDER CODE PRODUCTION内に新レーベル「ROAD AWAKE」を設立、VAGERKE、HARVESTといったハードコアバンドのプロデュース
◼︎90年代のインディーズシーンで活動していたバンド「F.F」のVo.伊集院明朗氏率いるバンド「FLESH FOR FLANKENSTEIN」のベストアルバム「DJ FLANKEN STEIN」(ゲストボーカル:清春氏(黒夢/SADS))のプロデュース
◼︎90年代のメジャーシーンで活動していたバンド「Kneuklid Romance」の期間限定復活に伴う音源のプロデュース。実に9年ぶりとなる新曲のリリースとなった
◼︎盟友未散氏(Loop∞Ash代表)自らがメンバーとして参加した、真矢氏(LUNA SEA)とのコラボレート・プロジェクトバンド「Seven」への楽曲提供


こうして新旧、ジャンル問わず目をかけたKISAKI氏の行動へのリスペクトは、UNDER CODE PRODUCTION所属バンドからのトリビュートという形で返ってくることとなる。
キボウ屋本舗、Anjyu’、Sivaといった所属バンドからBergerac、VAGERKE、ドレミ團といった彼と親交の深いバンド総勢10バンドが集結し、Phantasmagoriaの楽曲をカバーしたトリビュートアルバム「Tribute to Phantasmagoria」をリリース。
そして2008年8月には5日間にわたり、全出演バンドがPhantasmagoriaの楽曲を織り交ぜたステージを披露するというトリビュートイベントも開催された。


Phantasmagoriaとしては2008年5月3日、hide memorial summitというこの上ない大ステージにて限定復活を果たした他、同年8月には大阪・アメリカ村三角公園特設ステージにてゲリラライブを開催。
そして2009年、UNDER CODE PRODUCTION初となるカウントダウンイベント「首都制圧2009~2010」に突如出演、以降2010年4月まで期間限定復活を果たす。
かつてKISAKI氏が引退を表明した日付である4月5日という大切な日に、大阪BIG CATでのワンマンライブ「Diamond Dust in Truth~新たな約束~」をもって、Phantasmagoriaは”再び”封印された。
そして・・・


「神歌」だけでなく、Phantasmagoriaには多くの代表曲が存在する。
三部作としてリリースされた「神創曲」「狂想曲」「幻想曲」や限定復活にあたりリリースされた「Diamond Dust」等、6年間でリリースされた楽曲の大半を網羅。
前述のhide memorial summitでのライブシーンや封印直前に開催された伝説のイベント「鹿鳴館伝説~LEGEND OF ROCK MAY KAN~」での様子を収録したDVDも付属と、正にPhantasmagoriaの軌跡を余すところなく収録した作品。
【Wailing Wall 2004~2010/Phantasmagoria】
https://www.amazon.co.jp/Wailing-Wall-2004~2010-Phantasmagoria-ファンタスマゴリア/dp/B00DGNXZRI/ref=pd_sbs_15_img_2?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=8NCGTA1QA0V1WAMJTS07




【凛】(2010~2016)

Phantasmagoria封印の翌日、ホームページ上で出された「KISAKI新バンド「凛」」の正式発表。
Phantasmagoriaで活動を共にしたVo.RIKU氏を始めとしたメンバーを迎え結成された「凛-the end of corruption world-」は2010年から2016年と実に6年にわたり華々しい活動を見せた。
これまでの彼の実績に伴う戦略的な活動。もちろんそれは凛にも反映されていた部分もあったが、それ以上に随所に彼の”信念”が見えたバンド、それが凛というバンドだった。その片鱗をいくつか紹介したい。


◆初音源「凛」

Syndrome、Phantasmagoriaでは始動と共に配布音源という形で一人でも多くの人に音を届けるという戦法をとったKISAKI氏。だが、凛は違った。
セルフタイトルとなった初の音源であるシングル作品「凛」は完全1,000枚限定、購入方法は通販のみ。
この作品は2017年現在に至るまで、アルバムやベストアルバム等にも一切収録されていない(映像は除く)。彼の想いに賛同する者だけが記念すべき初めての音を手にする形となった。


◆チャリティーイベントの開催、出演

活動2年目を迎えた2011年、東日本大震災が発生。
被災地だけでなく日本全土に衝撃を巻き起こしたこの出来事を受け、あらゆる場面で助け合おうというチャリティー精神が日本にあることを再確認した。そんな誰かを想う精神は、KISAKI氏の中にももちろんあった。
4月30日、大阪BIG CAT・OSAKA MUSEの2会場を舞台に、総勢30バンド以上が出演のチャリティーイベント「UNITED LINK for JAPAN」を開催。
また6月にはUNDER CODE PRODUCTION所属バンド協力の元、オムニバスアルバム「UNITED LINK for JAPAN」をリリース。このCDの収益も復興資金として寄付された。
また、KISAKI氏・RIKU氏においては、ヴィジュアル系アーティストが中心となって立ち上げられたチャリティープロジェクト「BLUE PLANET JAPAN」への参加も果たした。


◆90年代ヴィジュアル系回帰プロジェクトの開催

ここまで読んでくれた人なら充分分かってくれたかと思うが、KISAKI氏は90年代から続くヴィジュアル系というシーンの歴史に欠かせない人物であると同時に、きってのヴィジュアル系マニア。
そんな彼の原点とも言える90年代を現代に蘇らせるべく、「輪‧廻‧転‧生」というイベントを開催する。
数回にわたって開催されたこのイベントは、MatinaやUNDER CODE PRODUCTION所属のバンドに加え、彼の以前のバンドであるMIRAGEの一日復活に加えZEDEKIAHやLa Madame Rochas、Ange∞Graie等のシーンを深く知る者にとっては驚きといえる復活劇を果たしたバンドたちや、
Kneuklid RomanceやAliene Ma’riage、Romance for~といった90年代のシーンを支えたバンドたちが出演する、正にヴィジュアル系の歴史を知る者であれば誰にとっても垂涎もののイベント。
またこの時期、同じく90年代にカルト的な人気を誇ったバンド、Deshabillzの復活劇に際し、KISAKI氏は全面プロデュースを行なう。Deshabillzは同イベントへの出演も果たした。
また2013年12月には、彼の歴代バンドの楽曲を網羅したスペシャルバンド「SchwarzVrain」にてワンマンライブを決行。La:Sadie’s、MIRAGE、Syndrome、Phantasmagoria、凛と歴代の楽曲が現代に蘇るとあり、彼の長年のファンは大盛り上がりを見せた。


◆UNDER CODE PRODUCTIONの解体と活動休止

そんな中飛び込んできたUNDER CODE PRODUCTION解体のニュース。2012年8月のことである。
「何がなんでも10周年までは続けようと執念を持って」やってきたレーベルの解体に、誰もが衝撃を受けた。
そんなショックも冷めやらぬ中、2ヶ月後に発表された、凛の無期限活動休止。
メンバーの失踪などのアクシデントに見舞われつつも、オムニバスアルバムのプロデュースや異種格闘技戦とも言える流血ブリザードとの2マンライブ開催、そしてUNDER CODE PRODUCTIONの解体に伴うラストイベントの開催など、精力的に活動を続け、2013年6月30日、大阪BIG CATでのワンマンライブ「Obscure Ideal~Judgement of fortune~」をもって凛 第一章の活動は終わりを告げた。


◆第二章

2014年。凛は再びシーンへ姿を現した。KISAKI氏以外のメンバーすべてを一新して、だ。
休止していた時間を取り戻すのように怒涛のライブスケジュールを遂行する凛。
まず、これまでのバンドでは選ばなかった手法である、第一章で演奏されていた楽曲を新たなメンバーで再録したミニアルバム「Recollection of Phoenix」をリリース。
またシングル「Memento-Mori」では人時氏(黒夢)をゲストベーシストに迎えたり、KISAKI PROJECT feat.樹威で発表していた楽曲を新たに再構築させたり(「Cross Peagant」)と、様々な活動展開を見せた。
そんな最中、訪れた”活動休止”の発表。
前を向き、上を目指し、本気で立ち向かう5人にとって、抱く理想と現実の壁は高かった、とでも言おうか。それだけ音楽に対して真剣だったからこそ、一旦歩みを止めようと、活動休止という道を選んだのかも知れない。
2015年9月、死をも思わせる歌詞と、そしてKISAKI氏のこれまでのバンド人生を総括するような激しく気高く、そしてどこまでも美しい最高傑作ともいえるシングル「Dedicate to Graveyard」をリリース、そして11月、新宿BLAZEにてラストワンマンライブを開催。
活動休止を迎えしばしの沈黙ののち、5人が選んだ選択肢は”解散”だった。


◆凛 LAST LIVE「the end of corruption world」

活動を休止し、今一度自分達を見つめ直す5人が選んだ解散という道。
ラストライブは全4日間、東京と大阪を舞台に、総勢26バンドが出演するという、彼の人望により実現した晴れの舞台。
2016年3月20日。なんばHatchにて開催されたラストライブには、KISAKI氏が以前共にバンドを組んでいた浅葱氏率いるD、MatinaからUNDER CODE PRODUCTION時代、彼の右腕としてシーンを支え続けたRame氏率いるBlack Gene For the Next Scene等、彼と親交の深い、いや、親交という言葉では表現しきれないほどのメンツが集まり、大勢の仲間に囲まれながら、彼は、そして凛は最期を華々しく遂げた。


凛のそのクオリティーの高い楽曲たちは、1990年代から始まり、2000年代に様々な色を含み、そして2010年代に更に多様化していったヴィジュアル系のすべての歴史を超越する、シーンの代表にして必要不可欠なサウンドだった。
ヴィジュアル系シーンに少しでも足を踏み入れた人には、絶対に聴いてほしい楽曲ばかり。是非、この最期にリリースされたベストアルバムボックスを手にし、彼が描こうとした”退廃した世界の終焉”=「the end of corruption world」を感じ取ってほしい。
【the end of corruption world/凛】
https://www.amazon.co.jp/end-corruption-world-MEMORIAL-BEST/dp/B019T4TEZ4/ref=pd_sbs_15_t_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=HYRPSZ80G8H8NA19ZZ63





長々と書いてしまったが、それだけKISAKI氏がヴィジュアル系のシーンに刻んだ爪痕は大きく、そして深い。
「彼でなければできないこと」「彼がいなければなかったであろうこと」は、このシーンにおいて余りにも多すぎる。
20年にわたりヴィジュアル系というシーンを進んできた彼の動向。彼が見据える未来は。そしてその未来に彼が突き立てる新たな爪痕は。期待せずにはいられないのだ。
改めて、今日という日が彼の誕生日であることをこの文章をもって祝福したい。そして、また1年、彼がこのシーンに何をもたらしてくれるかを、楽しみにしていたいと思う。

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