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【2019/07/18の日記】 イマジナリードキュメントディダクション


木。

・社会復帰3日目。

・イマジナリー同僚と語らう昼下がり。

・推理を英訳するとReasoningと出てくるがシャーロックホームズだとDeductionと言ってたな。こだわりなのかイギリス英語なのかどうなのか。Let’s deduce.


ジェシー(真ん中。ウッディーの妹)とエイリアンと三つ首の羊。


・仕事。ずっとハテナが浮かんだままなんか作業している。

・とりあえず目の前にある文字列を眺めて「こういう状況ならあれとあれがあるはず。ある?あるよね?一旦ある前提で考えよう。で、次はこれがきっとこうだから…」みたいな妄想と仮想を無限に積み重ねていて、バベルの塔の現場監督ってこんな気分だったのかなと思いを馳せている。

・いろいろと知ることが多い。なるほど、これが情報が断片的にしか触れられない人が見る景色かー。それを得るにはドラクエよろしく、人に話しかけて徐々に真実を浮かび上がらせていく過程が必要なわけだ。わたし、恐ろしく向いていないかもしれない。トルネコでいい。マーニャでもいい。

・調べる内容がムーバブルでない(≒社内固有の)知識ばかりというのが強烈に好きでないという自己理解を得られた。


闇の廻廊に佇むいくら軍艦


・『一般意志2.0』を読み進めている。

・これまで考えられてきた民主主義、そこでは意見を戦わせ一般意志を生み出すことが目指されているが、それはもはや非現実的だから他の方法を探ろう、そしてそれがいま技術によって可能になりうるという主張。

・部分的に同意できるところはある。ログをもとにした選好の見える化(i.g. Amazon)を政治に生かしてほしいという主張はよくわかるし、それが行き過ぎないようにいわば制御弁としての政府が政府2.0というのも面白い試みだとおもう。

・一方でそれを集団の選好に適用できるのかは怪しい。パーソナライズは同一価値観保有者(通常は個人)に対してでしか有効的でない、もっと言えば同一主体でも時系列の異なる点にいるものに対して適切に働かない。

・そもそも一般意志が「正しいのか」という議論がまだ出てこない。一般意志が「人類死すべし」と言ったらどうするのか。というか集合体の意思決定を何か固有のオブジェクトに委ねるという考えは、ストッパーが絶対に正しく働くのかという議論に帰着しうるし、そこでまた「ストッパーは正しさを判定できるのか」という「正しいのか」議論に戻ってしまうので、そもそも避けた方が賢明だと思うがどうなのだろう。

・ある種の法則・パターンに従ってみたときに自然とあるべき姿が浮かび上がる。その隠された姿を見つけ出すようパターン・法則を多量のデータとともに見つけ出そうというあり方はどちらかといえば経済学的な目線の話で理解がしやすかった。ただその結果不幸な人が登場することを見越して経済政策や公共政策という死荷重を発生させる政策が許容されているわけで、「自然とあるべき姿を模索する」というアイデア自体はべつに新しいものではないと言える。


・あ、わかります?そうなんです、この日は好奇心が死んでて画像も試作もちょっと荒気味なんです、うふふ。


好きです