【2019/06/21の日記】哲学入門に失敗した。
唐突に知らないことを知りたくなって(西洋)哲学入門書を数冊と、面白そうな哲学方法論を読んだ。
ら、もう哲学は終わってしまったとのこと。ラーメン屋か?
仕方ないので供養として私の中で形を取りつつあった哲学マップについてまとめる。
## これまでの哲学のビッグテーマとその歴史:
・真理の真理を求める:
- 永井均の言う「子どもの哲学」
- 神, 道徳, あるがままの世界/物自体, 存在, 宇宙の前や最初の原因。認識論的な入り口でまごまごしているかと思ったらそこで終了していた。
- 神話 -> ロゴス -> (中世: 神一択) -> 理性 -> 実存 -> 構造主義 -> ポスト構造主義
・道徳の真理を求める:
- 永井均の言う「青年の哲学」
- よく生きるとはどういうことか
- 神話(という体の法?) -> 真理の追求(ソクラテス、プラトン、アリストテレス) -> 心の安寧(ストア/エピクロス) -> (中世: 神にすがるしかない。自力救済の否定) -> 理性 -> 功利主義 / プラグマティズム -> ???
- 道徳の哲学というテーマ史、面白そう。エピクロス派って今で言う「丁寧な暮らし」のことじゃない?
・国家の真理を求める:
- 永井均の言う「大人の哲学」
- 効率的で人が幸せ(多義語)な社会の作り方
- 村 -> 哲人国家 -> 君主制/貴族制/民主制の循環 -> (中世: 神。王権神授。) -> 社会契約論 -> 人民主権 -> 資本主義(自由主義) vs 社会主義 -> 新自由主義
- 経済学は「近現代の国家哲学」と言えそう。
・死の真理を求める:
- 永井均の言う「老人の哲学」
- 神話 -> 単なる粒子(唯物論) -> (中世: 神) -> ???(死んだら粒になるだけよ / 死は認識できない / 死を思って頑張れ など)
- だいぶ宗教論と混じりあって識別が出来ない。一番むずそう。
最も基礎的であり、純粋な(?)「真理の哲学」については完全に行き詰まっているように見える。
## 現時点での「哲学の今」への理解:
- 真理(神, 道徳, あるがままの世界/物自体, 宇宙の前や最初の原因などなど)を追求することはウィトゲンシュタインが「無理です」と終わらせてしまった。
- 思考の制約として言語があり、その言語の限界がおもったよりも狭いもので真理には到達し得ないと結論づけた。
- よって今は「真理なんてわからない」フェーズ。
- 過去にはプロタゴラス、ヒュームなどが真理には届きえないとしている
- 真理を追求できないならその他の真理も追い求められない. 「今の所/局所的にもっともらしい」にとどまる
- そういうときは、これまでの歴史を振り返ると次の2つに近い何かが期待される。
- デカルト、カント(はこちらに含めた)、キルケゴール、サルトル、レヴィストロースのように真理を再定義してカウンターするか、
- デューイのプラグマティズムのように別の話題を語り出すか。
- 真理の再定義で追求可能にする / その方法論にツッコミを入れて不可能と断じることの螺旋的繰り返しがこれまでの常
- さて、そのひっくり返すカウンター(パラダイムシフト)は常に時代の変化から生まれてきた。それを追い求めて新世界を歩き回るのが今の哲学。
- 閉鎖村社会に対する異文化衝突のように、唯一の真理に対する私だけの真理のように、自由意志/実存に対する無意識のように。
- IT / 労働観 あたりにヒントが有るのではと現在の哲学者はそのあたりをほっている(らしい)
- 故に現在は社会学と哲学のオーバーラップが目立つ。(かつては自然科学や心理学だった)
・これがどの程度理解としてあっているのかわからないのでだれか教えてください。とりあえず今の哲学は真理探求に対してダウナーだということがわかった。
・あとすべての入門書がキルケゴールの超高校級ネガティブとルソーの超高校級人格破綻について言及することがわかった。
・このひとまたこんな箇条書き使って...
好きです