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【2019/07/07の日記】 夢を見るということ

・七夕。もうたなばたなの?

・10連休二日目、気張っていきましょう。

パリッうめっ


・私的な理解において、七夕は下半期の抱負性を有する現象だと了解している。

・ということでもう一度下半期の抱負を確認し直した。

・英語、技術、財政整備、倫理・思想の立て直し、旅行、できれば痩せる。痩せてぇんだがなぁ...

・特に英語と技術は今年どこまで伸ばせるかが今後を大きく左右すると思っていて、こういうときっていつも憂鬱になるんだよな。分水嶺一生来ないでくれ。

・時は無情にも流れ続ける。


とにかく出てって欲しい人の頭の中


・新宿の書籍自炊サービスへ

・想定以上にスキャンには時間がかかる様子。サイトには「最短2日から!」と謳っておきながら実際には早くて3営業日、通常だと10営業日だとォ...?

・とはいえ調べたところによると、自分で機材借りてやるとまる1日潰れるうえ、安くもないとわかったので10日かかっても外注の方向で。急ぎの内容でもない。ゆるりと行こうや。

・ただまぁ不安になる店構えと窓口受け付け。名前と発注者住所の郵便番号だけで本をビニール袋のまま手渡し。マジで大丈夫か?失くさない?名前書いてないよ?


直前まで笑ってたのに急に大声で漢字を言う人。


・午後は大井町でぶらぶら。渋谷近いしいい街。

・と思ったのもりんかい線駅構内に到着するまで。改札までどれだけ登らされるんだよ!あんたは大江戸線か。

・とはいえスタバと中規模以上の書店が入った大型ショップが駅前にあることの価値は計り知れない。正常に「住める」ことは確約されたと言える。

・今住んでいるところ住みやすさでいうと困ることほとんどないのだけど書店がなぁ。悪くないけど満足はできていない。

・ここまで書いて気づいたが、どうせ渋谷レベルの書店群がないと満足できないのだからあまり考慮するべきことでもないか。


成長する梅酒たち。かわいい。


・帰ってきて餃子の残り食べてマトリックス3部作を見る。

・マトリックスのテーマは哲学とSF由来のもので、何度見ても面白い。さぁ気合を入れて気持ち悪い感想を書くぞっ。

・1は認識論。効率よく人間電池を管理する支配体制に対して主人公のネオが立ち向かう物語。プログラムが規定した世界のルールすらも捻じ曲げられる理由はいまいちいまいち分からなかったが、「有機体としての脳の処理能力」がパワーやスピードと同義であり、ネオのそれが常人より遥かに優れていることがわかる。最後には演算力がリミット解除されて爆勝ちして終わる。支配に対する抵抗という物語。

・2は決定論と自由意志。2が個人的に一番面白い。選択がキーワードであり、自分がしてきた選択は果たして本当に自分の意志で選び取ったものなのか、それともあらゆるシステムが働いた原因と結果の一環としての行動にすぎないのではないか、というテーマを扱う。アノマリー自体もマトリックスに組み込まれている概念であることが判明したり、超推論としての予知夢が使えるようになったりする中で、全ては論理的に決定される運命でアンコントローラブルなものなのではないか、人類の繰り返された(そして管理された)敗北と再生は不可避なのではと恐れ、ネオは自分の果たすべき役目を見失う。対照的にプログラムに人間的な意思を感じさせるのも2から。エグザイルという、本来の役目を終えたあと削除を恐れて逃げ回るプログラムの存在や、自由と全てを求めるエージェントスミスの自律行動。極め付けには人の肉体にプログラムが侵入することに成功する。この人間化するプログラムとプログラムされた運命に戸惑う人間の対比も面白いが、コンピュータサイエンスとしても面白い観点が盛りだくさんにある。その一つは設計においては失敗を見込んでおくというものだ(tolerance)。ハードウェア・ソフトウェアには冗長性をもたせることが重要だし、セルフヒーリングの仕組みを持たせることで復旧まで自動化できる。更には障害理由を分析し新しい施策を検討実施する能力までマトリックスは備えている。究極のセルフインプルーブメントと言える。ここで思い出されるのがメロビンジアンの「原因と結果、強い奴とは原因を扱えるもの、そうでないものはただ原因と結果に規定されるというセリフだ。そう、アーキテクトは決定論をネオに説いたがあくまでそれはアーキテクトが対ネオ比で絶大な力を有していたからであり、彼も永遠に自律稼働するマトリックスの設計というお題の前では試行錯誤していた訳だ。自由意志にはそれを行使するための力が、他のなにかに規定されない力が必要だ。

・3のテーマは自由意志の奪還と選択の結果、そして夢を見るということ。2の最後にネオが「他の何かに規定されない力」としてスーパーナチュラルな能力を保有した。手かざしでイカを殺す能力。3の冒頭はそこから始まる。これは現実世界においても有効な能力という設定で、恐らくだが「演算能力の可視化とそれへの干渉力」だと解釈している。この世界ではエネルギーとしての演算があるのだと考えているのだけど、まぁそんなことはどうでもいい。力の由来はなんでもよくてとにかく現実世界においてマシンに対し影響を与えられるようになった。3は哲学的テーマを拡げるというよりかは広げた風呂敷を閉じることにフォーカスされており、どちらかといえばマシンシティ、ザイオン、ネオ、スミスの4つ巴の利得関係を具体的に考えるシーンが多い。とはいえ、3の見所は得た力をもとにネオが原因と結果に関与することを決断することと、「夢を見続けること」にあると言える。モーフィアスの由来はギリシャ神話における夢を司る神であり、劇中において、特に3において、彼は「この瞬間をどれだけ夢見たことか」「これは偶然ではない、夢に見た運命だ」と言い続けている。彼は初志貫徹・己の運命を強烈に信じる男。決定論ではないが運命論信者であり、彼ほど運命を信じそれに身を委ねている男はいない。船がイカに全壊させられる直前でも、爆発するトラックの上でも、収穫のなかった敵地帰り道のエレベーターの中でも、あと2時間で人類が死ぬというときにでも運命が次の道を切り開くことを信じて疑わない。モーフィアス、お前こそオラクルだよ。ただし運命論と決定論は違う。運命論者はその運命が実現するものと信じながらそれを実現するための行動を厭わない。「道を知ることと道を歩くことは違う」のである。そんなモーフィアスでも半覚醒ネオの言葉には揺らいでしまうのが面白い。信心は強い群を作るが脆いという教訓が得られる。また話が逸れたが、実はこの物語のターニングポイントでは常にモーフィアスの信心が欠かせないことが1から3まで通じて確認できる。そのまとめはくそ面倒なのでもう映画をみてくれたのむ。その結実としての戦争最後のシーン。「この瞬間をどれだけ夢見たことか」「これは現実か?」の言葉の重みが作品全体を貫く重たいセリフとなって終わりにつながる。彼の瞼の裏にはこの光景が誰よりもクリアに存在し、愛しい存在にすら理解されなくともその実現に人生を投じてきた。オラクルは直観プログラムだが、その実態は超推論エンジンなので選択していない未来は見えない。モーフィアスという鋼の意志と信心をもつ彼にだけ見えていた未来だった。モーフィアス、万歳。偉大なるモーフィアス 。

・寝るぞ!!

好きです