見出し画像

【2019/06/25の日記】 理性の/が限界

・昨日でこの日記は1週間続いていたことになる。記念日だネ...

・この、「人生をしょうもないことに費やしている」感覚、これがたまんねえんだ…


街中のステッカー。なんでちょっと涙目なんだ。


・しょうもないけどツイッターにはあげるほどでもないことを書きますね。

・昨日の夜は、Netflixで刃牙最終話とキルラキル最終話とエヴァンゲリオン最終話を観た。体力ないと最終話だけみる癖が昔からある。

・論拠にホーキング博士の普通の発言をもってくる書籍を見ると眉が寄っちゃう。(これはツイッターに投稿した)

・中目黒のエスカレーターはたまにヒヤッとする。人詰(づ)まりで。人詰(づ)まり、ホラーショートのタイトルみたいだな。

・ふくらはぎにお湯がしみる。肌は正常。魂に傷を負ったか?

・究極の利己的振る舞いは公正に見えるというフレーズにドキッとした。常に人は利己的に動くから道徳も守るのだと声に出して平静をとりもどす。

・アニメバキの表情、エリートヤンキー三郎で度々登場する悪魔顔と通ずるものがあって笑ってしまう。「悪魔顔」といったときのソレ。

・烈海王「はい、我々中国拳法の圧勝ですッ」のシーンがほぼ大河内一郎。

・この日記をなんだと思っているんだ。


ペンフィールドのホムンクルス/2019ver


・その後『理性の限界』を読んだ。ほぼジャケ買い(タイトル買い)で選んだ一冊。

・こちら↓


・読書メモはこちらにまとめています。(ストックしたいものはnote外におく方針です。なぜなら過去からの習慣だから。)


・合理的な選択の限界、科学の限界、知識の限界の3つのテーマについて、それぞれ様々な仮想の登場人物の掛け合いの中で紹介しまとめている。ジャケ買いだったので期待した趣旨(理性そのものの限界について古今東西の議論がまとまっていると嬉しかった)とは違ったけど、内容としては大変よろしゅうございました。ずいしょでキャラクターたちの専門性に話題がかすりでもすると、そのキャラがシャシャり出て脱線するのがコミカルで軽さを演出。一方、若干話しの展開をごまかされたなと思うところもある。

・普段日常的に使っていて、これで得られた結論は合理的で妥当であるとしがちなツール = 多数決 / 科学 / 証明 を見直す。これはこの半年強で個人的なテーマにしていた「コンピューター/ネットワークの低レイヤーを、恐れず覗き見る」といったところと姿勢が近くてスッと入ってくるものだった。哲学全般に今自分が惹かれている理由もそこにあるのかもしれない。

・低レイヤー。納得すると霧が晴れるような気分になれるものはたいていそういうところにあったりする。トレンドの技術、話題のトピック、日常の業務。普段接するそれらから実践的なテクや話題に乗る材料は確かに得られるのだけど(そしてそれも大事)、人生のステージみたいなものを上がる快感は低レイヤーの理解にあると思う。いや別に快感のために学ぶわけでもないのだけど。んん、あるのか?わかんないや。ただ、「(自分が満足できる程度に)最も原始的な原理とその組み合わせ方(=きれいな抽象化の方法)を知り、その限界(=できる/出来ないの境界)を知っている」ということがもたらす心の安定感は、非常に強い「力」の一つだと私は思う。

・人間の理性、人がわかる/理解できることの限界ってどこなんだろうね。

・並行して読んでいる『いま世界の哲学者が考えていること』に出てくる「哲学学」者と、作中のカント哲学者のおじさんがほぼ同じ描き方をされていて、きっと本当にこういう人多いいんだろうなと夕日を眺めた。

・『理性の限界』は面白い本です。暇な時にオススメ。


これは「理性が限界」
案の定あった。


・なんか今日は心が批判的、というよりも誹りがちな心持ちでよくないな。

・これでもみてバランスをとるか…

・オープニングで薄く「(パッパパ、パパパ)」と口ずさんでいるのがよい。

・今日は主にプロメアのサントラ聴いて作業。

・「Kakusei」の左下に似ている気がする(自分が)。




好きです