シャドウ・オブ・ウォー つまり○○が足りてない

とある理由からシャドウ・オブ・ウォーで遊んでいる。

アクションは少々癖があってやりにくいが慣れた。

軍勢システムやそれにより発生するクエスト、個性的なオーク達。

すっかりタリオン(主人公)として馴染んできた自分がいる。


しかし、このゲーム、圧倒的に足りないものがある。

それは説明だ。

例えるなら、何も知らない人を専門家達の会議に混ぜ、誰一人としてその人にわかりやすく説明をしようとしない感じだ。

一応ゲーム内に解説はついてはいるのだが、ムービーはとにかく専門用語まみれ、あとで用語解説をみてようやく理解できはした。

世の中に専門用語まみれのゲームは山程あるのだが、なぜか理解が難しくない作品も多い。

なぜそんな差が生まれてしまっているのか。


私の出した結論は


『つまり○○』が存在しないから。


「墓歩き」「レンジャー」「明王」「グレイブウォーカー」

これらは主人公『タリオン』につけられた二つ名である。

これらを作中の人物達がタリオンの名前代わりに言うのだが

いきなり二つ名で呼ばれてもわからない。

いや、二つ名で呼ばれて主人公が返答、反応しているため『タリオン』のことを指していることはゲームを遊んでいれば自然とわかってくる。

しかし、遊びつ続けなくとも一発でわかる方法がある。

それは『つまり○○』という文法だ。

「墓歩き、つまりお前のことだ」

「レンジャー、つまりお前のことだ」

「明王、つまりあんたのことだ」

「グレイブウォーカー、つまりアンタのことだ」

『つまり○○』という二つ名で対する説明はこの文法を足すことでわかりやくなる。

この『つまり○○』論法があるかないかでわかりやすさはグッと変わるのではないだろうか。


オーク、ただ一言でオークと言ってもオークにも種類がいる。

ウルク(ウルク=ハイ)とオログ(トロル)(オログ=ハイ)だ。

作中ではオーク(全体を指している)だったりウルク(比較的小柄な方)だったりオログ(巨体の方、というかトロル)だったり

状況と使う相手によって単語が変わる、それはまぁ普通ではあるのだが

やはり知らない人間からしたらわかりにくい。

だからこそ『つまり○○』論法が欲しくなる。

「ウルク、つまり俺たち」

「オログ、つまりあのデカブツ」

「オーク、つまりアイツら」

みたいな一言さえあれば、もっとわかりやくなるのではないか。

そう私は思っている。


とはいえ、こんな用語のわかるわからないというのはゲームの面白さには関係ない。

このゲームの面白さは個性豊かなオーク達を洗脳、仲間にして軍団を作り

個性豊かに楽しく占領したり、防衛したり

他のオークにぶつけてみたり、他のオークと戦ったりするのが楽しいゲームだ。

用語がわからないからと言って、このゲームを投げ出すのはもったいない。


ということで用語は難しいけど個性豊かなオーク達が面白いシャドウ・オブ・ウォー

私のおすすめの作品です。