魔の山で遭難

トーマスマンの魔の山を読んでいます。今、下巻の半分を超えたところ。面白い。

訳者の高橋さんが「雪」の章が最も山場となると書いておられた(後書きからチラッと読んだ)。この章で、文字通り主人公のハンスカストルプは遭難する。いくらスイスの山にいるからって結核療養所で、内緒でわざわざスキー板買って、自力で練習して、スキーしてるこの人にもやや呆れるけど。
何者にも邪魔されたくなくて人工物のない方へドンドン進んでいくうちに吹雪にあって視界は悪いし方角もわからないし、頭は朦朧として同じとこぐるぐる回りだして、いったい自分がどこへ向かうべきなのかはたまた今どこへ行こうとしているのかそれすらもわからない。

ハッとした。これ、経験がある。実際の雪山じゃないけど、人生という雪山で。どちらを向いて進めばいいのか、登ればいいのか下ればいいのか。サッパリわからない。がむしゃらに進んでは途方に暮れる、あれだ。
大学に入ったあと、無事に合格してほっとしたけどそれから何を目指せばいいのか目標を見失ったように思った。せんでもええこと色々して、途方に暮れた。
子どもを産んだ後、仕事も辞めて、私自身の目標を失った。小さな赤ちゃんには未来があって万人がそれを応援してるのに、それと引き換えに私の未来の道は突如消えた。
あれだ。ハンスカストルプは遭難した。雪山でも、人生でも。
彼は幻覚まで見えるようになり、夢をみる。
美しい人々が海辺で過ごしている。芸術的で崇高な活動。人類のお手本のように静かに理知的に暮らす人々。ハンスはうっとりとその世界に浸る。
ふと、美青年が憂いに満ちた目で神殿を示す。
ありし日のパルテノン神殿のような高い円柱をくぐって中に入ると、慈愛に満ちた女性や子供の像がある。感動しながらも何か嫌な予感がしてふと奥を覗くと、おぞましい老婆たちが生きたままの赤ん坊を引きちぎって食らっているのであった。
これは夢だ!そうだ、眠り込んではいけない。と気づいて慌てて目を覚ましたハンスは、運良く街中に戻って来れる。

というエピソード。

遭難したハンスが見たもの。それは、人生の理想。しかし理想には、グロテスクな人間の欲望や悪意が隠されているということ。
崇高な人たちはそれが隠されていることを決して口にはしないけど、それがないわけではない。

そこなんだ。そう。

他人の悪意も自分の悪意も。
他人の汚らしいところも自分の汚らしいところも。
ないことにはできない。生きている限りは。

それでもハンスが現実世界に帰ってきたように、私も、このドロドロな世界に帰ろう。上手くいくこともいかないこともごった混ぜな世界に。
眠っているだけじゃ嫌だから。

がむしゃらにともかく前に進んで、もうアラフィフ。
仕事でも、それでも自分の成長が感じられた20年間だったけど、これからは体力も能力も衰える一方で、身につけた技術も知識も古いものになっていくし新しい技術にやっとこついていかなくてはいけない。定年までの次の20年はきっとずっと下り坂。転ばないように大怪我しないようにそうっと足を運ばないと。
うんざり。
希望が持てない。どうしたらいいのかわからない。
そう、今、漂流していたのだ。なんの道標もない大海のまんなかで。
長いこと 人生の踊り場  にいるみたいに出口が見つからなかったけど、魔の山でハンスと雪吹雪を一緒に歩き、幻覚を見、美しい神話の世界に入ったかと思うと血肉を食らう獣の本能を突きつけられ、ハッと我に帰ってハンスと一緒に現実の世界をまた歩きだした気がします。

で、具体的に、ちょっと美容にも頑張ってみようかな?とハイチオールcを買ってみました(なんのこっちゃ)。服を新調したり、前向きに行こうと思います。


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