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夢の中で、「これは夢だな。」と気づいたことは一度もない。夢みたいな話だと思ったら案の定夢だったともならない。夢を見ているときはその夢のような状況を当たり前のように享受している。突然意識と現実が合流し、目が覚める。この時にようやく夢が夢のようであったと感じる。そして想像可能な限り最もつまらない現実に何者かに置き換えられたような気分になる。

買い換えて数日経つスマホの初期状態の目覚ましアラームが、一応起こしてはくれるが、二度寝しても許してくれそうな音色を奏でて俺を現実に引き戻した。ところで現実に引き戻したという表現は正しくない。俺はどうせずっと現実に居た。寝ている間に俺の脳ミソが所在無さげに願望を夢に投影していたのかもしれないが、俺の意識とは無関係に、俺は現実に取り残されていた。時計の針は進んでいたし、10時に設定されたアラームは俺を覚醒させた。

夢見心地だった意識が現実と合流し、ここからは何もかも現実だと諦めて向き合う。スマホのアラームを切り、視線をスマホの横に移すと、昨日買って、寝る直前まで読んでいたと思われる現代思想の本が、読んでいたページが開かれた状態で置いてあった。読んでいないページのほうが多く、角度的に「人」という漢字に見えたが、どうでもよかった。手探りで机の引き出しから意味もなく捨てずに保管してある図書館の返却期限が書いてある栞を挟み、机にある別の本の上に積んだ。

床にも読んでいた別の本が落ちていたので拾い上げるとゴミや抜け毛が大量にくっついてきた。昨日掃除しようと計画していて、忘れていたことを思い出した。

まだ眠かった。未明とはいえ、ほとんど日の出ぐらいの時間に寝たので当然だ。そもそも起きれたらラッキー程度の認識で10時にアラームを設定しており、基本的に休日に二度寝しないことなんてない。

俺はまた、意識のみを現実から匿った。目が覚めたらきっと掃除しようと思った。

目を覚まして時計の針を見ると、午後3時だった。こんな時間に起きたって、何をすればいいのかわからないが、もう一度寝るのは難しい。Twitterを見て意識を文章に向けた。赤の他人の文章化された現実を見て気を紛らわせた。

コーヒーを淹れて飲むために起きた。たしか4時ぐらいだったと思う。インスタントのラーメンも食べた。ここまでの流れはおおよそ規定通りだったが、これから何をするかはすべてアドリブだ。

Twitterで「虹夏ママ」と検索し、TLに虹夏ママに関連するツイートを表示させる。虹夏ママ関連のいくつかのツイートを見て俺は見下げ果てたと言わんばかりのため息をついた。原作を読めば"解る"ことだが、本当にママが必要なのはお前らではなく虹夏であり、虹夏にバブみを覚えるやつは虹夏とちゃんと向き合えていないと言う他ない。今回は虹夏という体裁をとっているがこういう人間はいかなる現実とだって向き合うことは出来ない。お前らは安易にママと呼ぶ。虹夏の意思なんて無視して虹夏にママを強いる。これでは素材の味を楽しむことは出来ない、調味料におんぶにだっこのバカ舌の性癖で満足だという人間はきっととても沢山いるのだろう。多様性という後ろ楯を得て安心している。俺はそんな現実に心が折れそうになる。そんなとき、虹夏がとなりで笑いかけてくれた。

「も~しょうがないなぁ◯◯くんは~」

こんなことを言っていた気がする。もちろんこれは現実ではない。現実から目を背けないと決めた今となっては、彼女が俺にどんな言葉を掛けてくれていたのかもう思い出せない。

虹夏はもう隣には居ない。

虹夏(現実)と向き合わなければならないと思った。虹夏の意思を尊重するために原作を熟読し、アニメを見た。すると、虹夏はママではない(家庭的ではある)。虹夏に彼氏はいない(姉の思いを背負ってバンド活動をしており、恋愛をする余裕などない)。虹夏のアホ毛が浮いている。虹夏について理解していき、虹夏に関する事実が頭のなかで整理される。事実に即していないものを唾棄するようになった。

こういう反論が予想できる。「虹夏=家庭的=母性=ママという連想ゲームが虹夏とママを結びつけているだけのことで、萌キャラには珍しくもないごく一般的な嗜好では?今に始まったことじゃないと思いますし。もしかして最近アニメ見始めたんですか?」

でも虹夏ってママじゃないよね?マジカルバナナやったことあるか?お前たちはな?「マジカルバナナ!バナナといったら虹夏!」って言ってるようなもんなの。おかしいでしょ?「マジカルバナナ!バナナと言ったら黄色!黄色と言ったら虹夏!」こうでしょ?マジカルバナナは。虹夏は家庭的だし、母性も感じるし黄色だけど、ママでもバナナでもないんですよ。虹夏をママだって言い張るやつと、虹夏はママじゃないんだってちゃんと現実を認識しているやつが居たら、俺は普通に後者の肩を持つという話をしている。そして後者にしか見えない景色がある。もちろん虹夏はママじゃないって認識していながら口だけ「虹夏ママ~」って言っている人間もいるだろう(ほとんどこのパターン)。でもそれすら許す訳にはいかない。俺は真剣に虹夏と向き合っている。

俺の本当に伝えたいことがこのままでは自分でもわからなくなってしまいそうだからさっきさらっと言ったことをもう一度言う。「素材の味」だ。虹夏本来の素材の味を楽しむ。これこそが現実と向き合いたどり着いた性癖の極地であると俺は断言する。

虹夏ママとは虹夏にママであって欲しいという願望が生み出した幻想である。そんなやつに俺は「虹夏はママじゃねーよ」と現実を突きつける。するとお前たちは顔を真っ赤にして、青筋を立てて、黄ばんだ歯を剥き出しにして、「そんなこと皆解って楽しんでんだよ」とガビガビの画像を張り付けて、水を差すなと激昂するだろう。俺はそんな一人信号機を見ると思う。甘ったれるなと。虹夏は幼少期に母親に甘えることが出来なかった。それ故に精神的な幼さが垣間見える時もある。それでも、本当は甘えたくても、立派にバンドのリーダーとして姉の分まで夢追ってるんだよ。それが現実だ。それだけが現実で、それ以外のお前らの願望は不要だ。俺は虹夏の現実を守りたい。虹夏はママじゃない。

虹夏はロリータなんだよ!!!(天変地異)

山田リョウについて考えていると、当然俺も古着屋に行きたくなった。しかしもう夕方なので遠出は出来ない。そもそも一人で古着屋に入る勇気がない。この前も、入ろうとして覗いたら、おしゃれな人が沢山居て萎縮してしまい何も見ずに帰ってきてしまった。

そこで、代わりに俺は近所のしまむらへ赴き、古着屋に行くためのおしゃれな装いを調達することにした。俺は最近までしまむらのことを古着屋だと思っていたのだがどうやら違うらしい。服が異常に安いのは独自の物流網が整備されているかららしいが細かいことは知らんし興味がない。こんな調子で大学で経営学の授業を受けても、何も頭に入ってこないのである。



この文章は大分前に書いたものなのですが、今読んでみると、俺が書いた文章にしては珍しくけっこう面白かったので公開設定にしました。←自惚れんなカス。

俺がこのような虹夏論を展開した理由は、なんでもいいから喧嘩腰な文章を書きたいと思っていただけです。当時の俺は彼女にフラレたばかりで、ぼっちざろっくを毎週見るくらいの気力しか残されていなかったので、必然的にぼっちざろっく関連の文章を書くことになりました。ぼっちざろっくのキャラクターってみんな魅力的ですよね。魅力的なキャラクターを生み出すってだけで俺はすばらしいことだと思います。そんな気難しそうな顔をしていないで、もっといろいろなことに感謝して生きてみませんか?

誰か俺と戦争しませんか?あなたがどんなことを言われたときに苛つくのか俺にはすべてわかっています。安心して怒りに身を任せてください。

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