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【寄稿】虐殺や戦争を繰り返さないために歴史否定を許さない社会へ 安田浩一(ジャーナリスト)

警察官に付き添われるようにして集団が移動する。その中の1人が罵声を飛ばした。

「朝鮮に帰れ! おまえらはゴミ!」。

関東大震災から100年目の9月1日、横網町公園(東京都墨田区)。今年もまた、同じ風景が繰り返された。

同公園内、関東大震災・朝鮮人虐殺犠牲者追悼碑の前で行なわれる同犠牲者慰霊式に合わせ、外国人排斥を訴える差別者集団が押し掛けるようになってから7年が経過した。

●小池都知事の責任

きっかけをつくったのは、小池百合子東京都知事である。歴代都知事はこの慰霊式に、知事名による追悼文を送ってきた。慣例としての流れ作業であったとはいえ、いずれの知事も追悼文では「朝鮮人がいわれのない被害を受けて犠牲」となったことに言及、「このような不幸な出来事を二度と繰り返さない」と誓った。あの「三国人発言」で知られる石原慎太郎氏でさえ、都知事時代は毎年、同趣旨の追悼文を送付してきたのである。

ところが、2016年7月に都知事に就任した小池氏は、翌2017年から朝鮮人犠牲者慰霊式への追悼文送付を取りやめた。以降、現在に至るまで朝鮮人犠牲者慰霊式を無視している。

送付取りやめを発表した直後の会見(2017年8月)で、その意味を問われた小池知事は次のように答えている。

「関東大震災で亡くなったすべての方々に追悼の意を表したい」。

同じ日に行なわれる「大法要」にメッセージを寄せることで「全ての方々」を追悼するという理屈だ。

会見場でその言葉を直接耳にした私は、強烈な違和感を覚えた。虐殺の被害者は「震災の被害者」ではない。震災を生き延びたにもかかわらず、人の手によって殺められた人々だ。まるで事情が違う。

「人災を天災のなかに閉じ込めようとしている」。

親族が虐殺犠牲者でもある法政大学社会学部の教授は、私の取材にそう答えた。

●レイシストを呼び込むもの

ちなみに都が1972年に発行した『東京百年史』では、朝鮮人虐殺について「震災とは別の人災」と記載されている。しかし、今年2月の都議会でそのことを野党議員に追及された小池知事は、「様々な内容が史実として書かれている」としたうえで、虐殺の事実についても「歴史家がひもとくものだ」と答えた。

既に多くの歴史家が「虐殺事件」を検証しているにもかかわらず、これ以上、何を「ひもとく」というのか。言うまでもない、小池知事は朝鮮人虐殺という事実を書き換えようとしているのだ。

だからこそ追悼文送付を中止し、さらに、それに歩調を合わせるように、虐殺否定派の差別者集団が、慰霊式の妨害を始めるようになった。知事の歴史修正、いや、歴史否定の姿勢がレイシストを呼び込んだのである。

都知事だけではない。政府もまた、同様の姿勢を示す。今年8月、松野博一官房長官は定例会見で朝鮮人虐殺における政府の責任を問われた際、「政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」と答えた。

冗談じゃない。内閣府の中央防災会議が2009年にまとめた報告書でも虐殺の事実はしっかり記載されているほか、警視庁が編んだ『大正大震火災誌』(1925年発行)をはじめ、虐殺を記録した文書は数多く存在する。

だが、従軍慰安婦への謝罪を拒み、徴用工の存在を無視してきた政府はいま、虐殺の事実さえ「なかったこと」にしようとしている。「震災100年」でたどり着いた地平には、なんとも醜悪な風景が待っていた。

●社会に生きる者として

今世紀に入ってから、東京以外の地域でも歴史の書き換えが進行している。侵略戦争の罪過を刻み、アジアとの友好を誓うための記念碑などが、差別者集団による攻撃を受け、それに屈した(あるいは同調した)行政により撤去され続けているのだ。

歴史否定の波は、単に歴史を書き換えるだけでなく、外国籍住民への差別と偏見をも扇動する。差別の行き着く先に見えるのは、虐殺と戦争でしかない。だからこそ、私たちは声を上げていかなければならないのだ。殺さない、殺させない、そして殺されない。二度と過ちを繰り返さない。それが社会に生きる者としての責任だ。

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