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40歳からのキャリアサバイバルが始まった時の話。それは人生最大の暗黒期だった



人生で最も辛かった暗黒期

『苦しかったときの話をしようか』(著者:盛岡毅)の中に、

人が最も苦しくなるのは、
「自分の存在価値を疑う状況に追い込まれたとき」である

とあった。
これを読んでふと、私の人生最大の暗黒期とも言える辛く苦しかったころの事が走馬灯のように思い出されました。
そう、あの頃はまさに「自分の存在価値」が分からずにもがき苦しんでいました。

8年ブランク後に仕事を再開。明るく楽しい未来を思い描いていたのに・・

私が2人目の娘を産んだのは37歳の時。
その頃は夫の仕事の関係で大学から10年以上住んでいた東京を離れ、
静岡県で暮らしていました。

下の娘が幼稚園に入るにあたり、「やっと仕事ができる!」
意気揚々と仕事探しを始めました。
でも、、仕事がない。
もちろん選ばなければあります。
でも、伝票やデータ入力のみ、のような単純作業はしたくなかった。
機械的な作業や繰り返し業務は苦手だし好きではない、
という自分の特性を知っていたからです。
頭を使って創造力も働かせられるような仕事を望んでいました。
せっかく子供を預けて、
子どもに少し我慢してもらった上で働くのに、
自分にとっての「やりたくない仕事」をしてまで
働きたいとは思いませんでした。
そんな私に、「年齢」、「地域」、「働ける時間」が
大きな壁となって私の前に立ちはだかりました。

そんな時、夫がたまたま見つけてくれたIT系ベンチャー企業求人に目がとまりました。
コロナよりずっと前の2016年に既にリモートワークを取り入れている
地方都市では珍しい先進的な会社でした。

「能力とやる気がある人にはパートだろうが重要な仕事を任せる」
という社長の言葉に歓喜しながら、週3・時短パートとして入社しました。

そして、打ちのめされたのです
全く使いものにならない自分。
使いものにならない「ゼロ」どころか、むしろ足手まといで「マイナス」の存在になってるんじゃないか?という思い。

それまでは、大学も第一志望だった東京の有名私立大学に現役で合格し、
大学卒業後も、第一志望の大手IT企業に入社
入社後もやりがいを持って楽しく仕事をし、
上司にも期待されるくらいの成果は上げていました。
まさに順風満帆な20代、30代だった。

だから、
10年ブランクがあろうが、時短勤務だろうが、私ならすぐに活躍できる
と完全に自分を過大評価していました。

それが全く違った。
仕事の要領が分からない以前に、
まずみんなが使っている単語が分からないことだらけ。
その単語が、ビジネス共通のものなのか、
その会社独特の固有用語なのかさえ判別がつかない状態でした。

考えてみたら当たり前です。
私が入ったのはITベンチャー。
いくら過去にIT系企業に勤めていたとはいえ、もう十年前以上も前の話。
日進月歩の激しい世界において、通用するはずがない。
そして何より、その十年余りのブランクの間、
私は何の勉強も自己研鑽も行ってきてなかったんです。

そして辛かったのは仕事上の事だけではありませんでした。
家庭生活においても、一番苦しんだ時期でもあった。
これが私に追い打ちをかけました。

暗黒の子育て期

当時は長男が小3、下の娘が年少さん。
まだまだ手のかかる、甘えたい放題の時期でした。

息子にとっては、それまでずっと家にいた母親が、
突然いない時間があったり
(小学校の下校時間によってはお留守番の日もありました)
急に毎日忙しそうに険しい顔をしている。
たぶん鬼のような形相で毎日を過ごしてたんじゃないかな。

娘にとっては、初めての園生活で情緒も不安定な時期でした。

そんな2人の心の変化・とまどいに加え、
育児・家事にあてる時間が一気に減ったことで、
とにかく私に余裕がなかった

ちなみに、出産と同時に仕事を辞め専業主婦となっていたこと、
再開した仕事も時短パートだったことから、
「家事分担」という考えは私の頭の中にはありませんでした
これは夫も全く同じで、私が仕事を始めたからといって
育児や家事において何か協力しようとする姿勢はありませんでした。

そんな状況の中、私は毎日とにかく怒鳴っていた。
早く片付けて!
早く食べなさい!
こぼさないで食べろ!!

・・・怒鳴りまくって、子どもが寝た後に泣きながらごめんね、という毎日。
そして自分が寝る頃には会社での無力感を思い出してまた泣く。

なんでこんな事になっちゃったんだ?
私は何がしたいんだろう?

問い続けても答えが見つからない。
そもそも冷静に客観的に考える時間も気力もないから、
「悩む」だけでグルグルと同じ問いをさまよっていました。

これが私の人生最大の暗黒期です。
思い出したくないけど、「死」という言葉も何度か頭をよぎった時期。

やっと辿りついた望む生活

ここから7年という時を経て、今、
キャリア支援という自分の望む仕事を、
在宅で好きな時間に働く、という望む働き方で実現できています。

さらに親子関係は自分史上最高にいい関係を築けていると思います。
母親のキャリアと親子関係って、強い相関関係にあると思う。
母親が自分に自信をもって自律的な人生を歩むことが、何より。
この事については、以下の記事で綴ってみました。

母親のキャリア自律が親子関係に与える影響について考察してみた|40歳からのキャリアサバイバル術*りこ (note.com)

そして、最大の暗黒期から今の最高の自分に至るまで
どんな道を歩んできたのか、そのキャリアサバイバルの過程を、
このnoteに記録していきたい
と思います。

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