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傷つく ということ


数日前モヤモヤとすることがあってそれを引きずっていた


昨日オンラインで「きいている」練習をしたときにそのモヤモヤを扱ってみた

そのモヤモヤの影に隠れていたのは「傷ついている」ということだった

モヤモヤに注目してみたら、それが胸の痛みになり、そしてそれをさらにみてみようとしたら隠れるように気配を消した

どっかに隠れたのか、プロセスが途切れたのか
いつものプロセスが途切れる感じとは違う気がしたので、前者なのかな

なんとなく掴めたことは、モヤモヤの奥には傷ついているということが隠れていたこと

みようとしたら隠れてしまったことも気になるけど、傷ついたんだなということがわかったらモヤモヤは少し晴れたようになっていた


生まれてくるモヤモヤの奥には潜んでるものがあるんだろう



そうしたら今日、愛車のボンネットに傷がついているのを発見した

まだ半年も経っていない新車に初めての傷

車の側面ではないその傷は少し力をかけないとできないような傷で、おそらく故意につけられたものなんだろうと推測できた


傷ついたことがとてもショックだし、それがもし故意だとしたら更にショックだなと思う


故意に傷つけられるということは相手の意思がそこにある

そのまま痛みに繋がるのだ


モヤモヤとしたことは相手は故意に私を傷つけようとしていなかった

それだけが違いかはわからないけど、最初はモヤモヤが生まれ、みつめてみたら傷ついている自分に気がついた

自分でも傷ついているとわかりにくいことがモヤモヤを生むのかな

傷つけ傷つくということ


できるだけ傷つけたくないし傷つきたくないと思うけれど、だからといってそれを避けて当たり障りのない人づきあいをしていたら本気で関わるということから遠ざかっていきそうな気がする


車の傷もショックではあるけど
痛かったねと車の傷にそっと手を当てた

少し気持ちが和らいだ気がするのは
自分の心にも手を当てたように作用したのかもしれない


傷ついた自分を抱きしめる


傷つくことを恐れずに生きていきたいと願うけれど
まだまだ怖い自分もいる


でもきっと私は弱くて、そして強い

きっと、大丈夫


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