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アラフォーの「こうなりたいおねえさん」像ってなんだろう

40を目前にした脳は、何かと老いに関する情報をピックアップしてくる。

もうすでに「アラフォー」には数年前に到達しているわけで、それが「40代」になったところで大した違いはない。言葉の持つ響きに戸惑っているわけではないのだ。

でも、この頃、無性に胸がざわつくのは、なぜなのか。

ロールモデルの不在

思えば、小さい頃から、自分の中で「数年後こうありたい像」を思い浮かべてはそれを実現してきた。

年齢が上がるたびに、実年齢に合わせて目指すべき理想像をアップデートする。「わたしはこんなおねえさんになるんだ」と。

その時々でジャンルは変わるものの、私の中の「こうありたい像」は一貫して、外見的な印象をともなうものだった。

お嬢様学校に通う原宿系の優等生、ド理系大学の中でマトモなファッション感覚を持った女子学生、丸の内OL風の研究開発職の女性社員、土日にはカジュアルダウンした湘南ママ…

ど真ん中のフィールドで張り合える実力はないから、場違いのフィールドで上を狙う作戦。「●●なのにXX」というやつである。

計算高いわたしのこの作戦は成功し、自分のフィールドをきちんとわきまえつつ、その場において承認欲求を満たしながらここまで来た。今の時代、外見的な印象は、情報リテラシと自分を客観視できる能力があれば、なんとでもなるものだ。

でも、40を目前にして立ち止まる。

今のわたしにとっての「こうなりたいおねえさん像」は一体どんなものだろう。

思い返せば、10年前くらいにセットした、「仕事ができて、社内で存在感のある綺麗な女性社員」で、そこからアップデートが止まっているのではないか。

根っからの優等生であるわたしは、目指すべき「目標」を失って、足元がぐらついている状態なのだ。

不惑の40なんて嘘っぱち

「四十にして惑わず」というのは、かの高名な孔子の言葉である。

いやいやいや、むしろここに来て初めて、人生という道に迷ってますから!

だって、よく漫画とかで見る、髪をお団子にまとめた「可愛いおばあちゃん」なんて、自分がなるイメージが全く持てないのだもの。

かといって、顔がしわくちゃにも関わらず髪を黒々とさせ、後ろ姿はまだまだ「オンナ」の高齢女性って、なんだかイタい。

わたしはもうそろそろ、「こうなりたいおねえさん」スペックから、外見的な印象を切り離さないといけないのだということを、薄々気づいてはいるのだけど。

でも、もしかしたら、わたしが知らないだけで、

40歳からみた「こうなりたいおねえさん」像がどこかにはあるのかもしれない、という希望を、まだ捨てきれずにいるのだ。

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