みんな誰かのかわいい子
横断歩道で信号が変わるのを待っているとき。
わたしの少し前で信号を待つおっさんの背負うリュックに、お守りが付いていた。
お守りを自分で買う人はあまりいない。
つまり、こんなにサエないおっさん(失礼)にも、彼の無事を願う人がいる。
そして、こんなサエないおっさん(失礼)にも、母がいて、父がいて、人生に目を輝かせていた子どもの時代があった。
そう思うと、追い越し様にかかとを踏まれて靴が脱げたのに謝罪もなくスルーされたとしても、おおらかな気持ちで対処できる。
みんな、誰かにとっては可愛い子なのだ。
この考えって、世界を平和にするよね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?