キャリアと年齢

こちらにきてからというものの、大学に行っていると話すと誰もが「修士課程?博士課程?」と聞いてくる。

さすがに学部生だと思われることはないようなのだが、ポスドクだと思われたことは残念ながら一度もない。相手によっては、ポスドクだと説明しても、そう信じてもらえないこともある。

それには東アジア人の顔が幼く見えるという事情もあると思うし、自分自身が早く博士号を取得できたという事情もあるだろう。

それにひきかえ、世界随一のここの大学の審査は大変厳しい。入学はもちろんのことだが、修了もそう簡単にはいかない。そうなると、若く見えるし、英語がペラペラではない(そこまで下手なつもりもないけれど)私は、まさか大学院を修了した人間であるとは思われないようだ。

初めはそう思われる悔しさ、周囲の優秀さに対する劣等感に塗れていたけれど、最近はだいぶ落ち着いてきた。周りの皆がすごいのはわかっているから、それは置いておいて、自分は自分で一歩ずつ階段を登っていくだけだと捉えている。そして、そう思っていることに対して、周りもとやかくいうことはない。変に突っかかってきたり、喧嘩腰の人がいないというのは王者の風格か、英国の地方の大学都市という環境のなせる業か。

そう思うと、年齢的には周りより少し余裕があるし、英国のアカデミアで挑戦するのもありなのかな?という夢を少し抱きかけている。

そう考えた時に、そもそもこちらではキャリアに対して年齢というファクターをどのように捉えているのか、それが気になった。日本の場合、新卒一括採用という慣行に顕著にみられるように、年齢でステップが決まっていて、一度それに乗り逃したら、正規のルートを進むことはかなり難しくなるほか、転職は稀である(もちろん、近年雇用の流動化が進みつつあるので、このプロトタイプはもう当てはまらないかもしれないが)。

他方、こちらはもう少し流動性があるように感じる。何らかの仕事をしてから大学(院)に来たという人は少なくないし、大学院を出た後にアカデミア以外のルートに進む人も少なくない。大学の外の知り合いと話してみると、仕事を変えることは結構多いようだ。

そのような雇用の状況を考えた時、(家族との関係、定年と社会保障の関係で、年齢が与える影響はあるのだろうが、それを除いて)年齢が雇用そのものに与える影響はどの程度なのだろうか?そもそも、履歴書に年齢を書かないことを考えるならば、実質的にも影響は少ないように推測する。

結局は自分が何をしたくて、それに向かって必要な能力を備えられているか、シンプルにそれだけの世界なのではないか。

我ながら、あまりに外国かぶれで隣の芝を青く見ている記述だなぁと思うので、このことを頭の片隅において、批判的に知見を広げていきたい。

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