大学におけるジェンダーバランス

日々の生活の中でふと気づくこと。
私の周りには女性研究者が多い。

3人で共有しているオフィスは私だけが男性。隣の部屋も女性だ。
カレッジの食堂にランチに行くと、近い席になった人と交流しましょうという設計なのだが、なんだかんだ同じようなメンバーとテーブルを共にすることが多い。よく一緒にご飯を食べるポスドク仲間・院生はほとんどが女性だ。この1週間、カレッジでランチを取った日を思い返してみるに、見事に皆女性である。

もちろん、私がいわゆる文系であるために、近接領域の研究者は女性が比較的多いのは事実であるし、友達伝いに友達は増えていくので、同僚が非常に社交的であるというのと相まって、友達は女性に広がっていきやすいというのも事実である。

とはいえ、ここまで多く女性の研究者が若手世代に存在するというのは、ジェンダーバランスの観点から非常に望ましい方向性であると感じている。男性が「上」女性が「下」という出発点を廃して、能力に基づいた評価を行うこと、そしてそれを通して、多様な人材が参入してくるような環境を作ることは、規範的に望ましいのはもちろんのこと、今後の学術界の発展においても重要であると感じる。世界各地で学術研究の商業化・公的研究費削減が唱導され、存亡が脅かされつつある中だからこそ、働きやすく・多様で面白い組織作りは意義のあることであろう。

更に言えば、科学的でフラットな言論の最たる場であり、それを社会的に広げていく役割を有しているのが学術界なのだから(と私は信じている)、先陣を切って進めていくくらいでちょうどいいようにも思う。

とはいえ、上の職位(教授陣)を見てみると、依然として男性優位は変わらない。現在、若手層で女性研究者が増えている中、10年後、20年後の上位職位の構成はどうなっていくのだろうか。女性の採用拡大が広がることは、(男性である)自らのサバイバルに向けた競争が更に厳しさを増すことに恐れを感じつつも、なんとか生き残り、今よりも多様性の溢れる学会に身を置くことができたら素晴らしいなぁ、と妄想している。

「差別を解消せよ」「逆差別だ」といった言論が生まれるように、ルールを設けるにあたっては難しい判断が求められる。より適切な判断となるように対話を深めることはもちろん大事だが、対話の先にある、明るい未来を妄想するのも悪くないのではないか。未来に進歩が約束されているとの信念が失われた時代に生まれた人間としては、未来への希望はとても眩しく見えるのだ。

(なお、この状況は日本・英国共にあまり変わらないというのが私の印象であるが、私の所属した機関がどちらの国でも最も恵まれた大学の一つであるという点は割り引いて考える必要があるとは思っている。)

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